2018年06月29日

御役である

 明治三十六年十二月十六日

 出口直………大石、木下亀次郎、慶太郎の御魂因縁ある故、大望な御用さすから、これ迄の世は子が出世致しても、親の名は出なんだなれど、この行先は二度目の世を立て替えて、これ迄なかりた事が出来るから、木下亀次郎三男の今年二十四才、亀次郎が五十三才、母が五十一才の折、世の立て替えの元の始まりた弥勒の教(おし)えの初発の鏡になりたしるしに、変性男子の手で書き残して置くぞよ。明治三十六年の(旧)十月二十八日竜宮の乙姫様の御命日に引越したしるしぞよ。

 ※ 「明治三十六年の(旧)十月二十八日竜宮の乙姫様の御命日」の意味はわかりません。

           (「大本年表」分類六ノ三三一~三三二)

















 同年同月同日

 ……………弥勒ぼさつが世に御出ましになりて、昔の元のはじまりの事から書き置くのは変性男子(の)御魂の因縁のわかる世が参りて来て、この世に出て御出る上あがりて居れた神、また使われて居れる守護神眷族のやり方が(、)世の乱れたやり方を艮の金神、稚姫君の命が(の)変性男子の御魂が現れて、変性男子は世の立て替え、弥勒の世に立て替えを致す御役である。何事も世界にある事を先に知らせる御役なり。変性女子は世界がこう云う事に世が乱れて居ると云う事を、実地をさして見せたのでありたぞよ。大石、木下慶太郎、台所を気を付け以て(もって)大望な役を致して下されよ。

 ※ 子、義理の子に言わず、役員の方に言われています。「この中のこと、よろしく頼みます」と。

            (「大本年表」分類六ノ二三三~二三四)

















 同年同月同日

 この世の元は神ばかりでありたのざどよ。この世に世界と云う事はこしらえて人民を拵えんと、この世は立たんと申して長らくの大神様の御指図で世界を拵えたのは、しめ固めたのが、火と水とでしめ固めたのが、艮の金神が大将して致して拵えた世界であるぞよ。人民の我で出来たのはそれからの事であるぞよ。

 ※ 私たちの思考も世界を創っています。




 みたまの性来が種が違うから、外国の種は違うぞよ。違う種とまぜこぜになりて仕舞うて、くらやみになりて仕舞うて世の立て替えを致すには骨の折れた事であるぞよ。世に出ておいでる神を悪る申すのは、つらい事であるなれど、これを書かせる変性男子の御魂の辛い御役であるぞよ。

            (「大本年表」分類六ノ二三五~二三六)

















 明治三十六年十二月十七日

 ※ 次の神諭もひらがなの文章です。私解の文章にしていきます。

 艮の金神変性男子の御魂が現れると、弥勒菩薩が現れなさると、一度(一度に変わる意味)であるぞよ。変性男子が、現れると、この世に出て居れる、神仏事にも、人民にも、誰も知らん事が、分かりて来て、余りなことが、でけて来て、開いた口が、すぼまらんことが、でけて来て、みたまの因縁が、分かりて来て、天地がさっぱり反りて、世が逆様に、なりておるのが、元に戻りて、何事も、昔の元の、弥勒の世の、やり方に致す仕組みが、してありての、今度の二度目の、世の立て替えであるから、ながくかかりて、仕組みた大望な、みたま調べの大本であるから、世を立て替えると申すのは、みたまの立て替えであるから、骨が折れると申すのであるぞよ。

 三千世界を、一つに丸めて(一つの世界にして)、神国の世に致すと、申してあろうがな。神国の世に致して、みたまの改めを、致して元の、大事の大神様の、血筋をみな世に、落としてしまうて、途中から変わりたみたまが、日本に渡りて来て、まぜこぜの世に、してしもうて、このような見苦しき世に、日本の国が、乱れてしもうたのざぞよ。それで日本の国に、やまと魂の、性来の人民が、ちっとも無いように、なりてしもうたのざぞよ。それでこのようなことに、乱れてしもうたのであるから、この世の来るのは、元から分かりておるのざぞよ。

 二度目の世の、立て替えは、昔の、ていせいこうだいじんぐう(天照皇大神宮)殿の、おりの世の立て替えの、折の事おもうたら、今度の二度目の、世の立て替えは、大望と申すのは、天照皇大神宮殿の、折の岩戸を、開く折が、間違うておるのざ。騙して岩戸から、無理やりに引っ張りだすのが、間違うておるのざ。それから、嘘でこの世が、かためてあるから、今度の二度目の世の立て替えの、変性男子の、御魂は、嘘や、追従(ついしょう・おべっか)やら、上手は喰わん、一分と九分との、大戦(おおたたか)いであるから、ちと今度の、世の立て替えは、骨が折れるから、皆その心でおらんと、余程胴の座りた、女の一心の、かたまりで、申してある事を、みな現すぞよ。

            (「神霊界」大正九年二月十一日号)     
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2018年06月28日

花の世でありたゆえに、

 明治三十六年十二月十日

 ながく続いてきた世のしまいとなりて、この世はいろいろと変わる世でありたなれど、かわる世が花の世と申すのざぞよ。花の世でありたゆえに、一代の世には、よき実りはいたさなんざぞよ。

 こんど二度目の世を立て替えて、みろくの世にいたすから、みろくの世になりたなら、世界おだやか、末ながき心やすき世になりて、よろこぶものばかりになるぞよ。いましばらくのとこが、天地がかえる金輪際の辛いとこであるぞよ。

 家の内でよくわかるぞよ。しまつのよい家は、続いて行こうがな。この世もつのも同じこと。

            (「大本神諭」第三集)

















 同年同月同日

 家の内でよく分かるぞよ。しまつの良い内(うち・家)は続いて行こうがな。

 この世持つのも同じ事、後先かまわん世の持ち方でありた故、勇めばよいと申して勇むばかりの世の持ち方でありて故、これ迄世に出て居れた上(に)あがれて居りた上の守護神のやり方勇めば良い申して、大将は大神様、人民では天皇陛下、上と下とを立て別けて、行儀の崩れん規則がきめてありたなれど、日本の規則を用いん様に上(に)あがりて居りた守護神。

 天照皇大神宮殿の岩戸開きには、天之宇受女命殿も御手柄でその折はありたなれど、誠でないざまいて(だまして)岩戸を開いて、無理やりに大神様をざまいて岩戸から出すのには勇みて、嘘でざまいて岩戸開いたのであるから、それから結構と申して、この世は勇みさえすらよいであると申しなされて、勇む様になりて嘘はこの世の宝ざと申して世を立てて好きすっぽうの世の持ち方なれど、日本のやり方はそのやり方では続かんぞよ。

 ※ 何度も私解を書いて置きます。「世を立てて好きすっぽうの世の持ち方」とあります。アマテラスの岩戸隠れの話も、岩戸開きの話も、神様は作り話と見抜いておられます。作り話=「嘘はこの世の宝」で、日本の律令国家は「世を立て」たのです。日本という国を作りました。そして、それから今日迄、「好きすっぽうの世の持ち方」をしてきたのです。




 日本のやり方はやり放題で(あったが、しかし日本は(三一書房の注))万劫末代続かせねばならん国であるから、持ち放題に世を持ちておいでたのを影から改めしてありての二度目の世の立て替え。

            (「大本年表」分類六ノ三二三)

















 明治三十六年十二月十一日

 この戦は艮の金神の命令がさがらんと、他の神の自由にはちっともならん様に竜宮館(りゅうぐうやかた=大本のこと)の高天原で規則を決めるから、規則きめたら表になるぞよ。

            (「大本年表」分類六ノ三二五)

















 同年同月同日

 皆の心が打ち揃うて一つの心にかたまりて仕舞わんと、すっくり表には出んぞよ。上も下も大勢の人であるなれど、なした程静かなざ(だ)ろと、人から見ても内外のなき様に皆上下揃うて来たら、一度に開く梅の花、あまり皆が世に落としてありたので、もちと揃うが面倒いなれど、今度の二度目の世の立て替えの元の差し添えの種になるのは、余程人から見て今の人民まぜりのない様に何かの事が仇口も申さん様になりて来たら、この方(艮の金神)はこの中は一度に変えさすから、この方が致さな何事も出来はせんぞよ。

 大化け物が二度目の世の立て替えには竜宮館の高天原へ入りて来るから、今揃わせるから、皆が揃うたら、ずっくり現れるぞよ。

 出口の子は、まざ筆先の腹へ入りた子はまざ(だ)一人もないぞよ。筆先の腹へ入りて居る者は大本の役員ばかりこの筆先が腹へ入りたら、どんな事も分かるなれど、この大本は有難いだけでは誠の御蔭はとれんから、思い違いのない様にこの中の様子が分かりて居らんと、大きな間違いが出来るから、いつ迄も気を付けねばならん、余り思い違いのない様に皆致して下されよ。人民は近慾があるから、仕損ないが出来るのであるぞよ。

            (「大本年表」分類六ノ三二七~三二九)
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2018年06月27日

みろくの世のやり方は、

 明治三十六年十二月六日

 みろくの世のやり方は、日々がおだやかに暮れるから、ぬしがでにみたまが磨けて、心の持ち方が変わりてしまうぞよ。寿命も長くなるし、悪き事はせいでも(しなくても)行けるようになるぞよ。

 ※ さあ、そう自然に成るまでにどれぐらいかかるでしょうか。皆さんは毎日、この大本神諭を読んでいますが、いつも新たな気持ちで受けとめられているでしょうか。頭に神諭をつめこむ必要はありませんから、入らないときは少し離れてみる事もよいかもしれません。離れて、自分でよく考えて、また読むと、また受けとめられるなら、そう云う読み方もよいかもしれません。「自分磨き」は「自分に教え込む時間」。




 この世界は、もとは総体、泥海でありたのを固めしめたのは、もとは艮の金神であるぞよ。永くかかりて、世界をこしらえたのは、大神さまと、もとの地を固めたのは、この世の金神、金神のかしらであるぞよ。

 ※ ですから「もとの国常立命」と神さまが王仁三郎のサニワの神名に同意されたのも、この神諭からして間違いではないのです。しかし、艮の金神=国常立命ではありません。よく考えてみてください。




 天はお三体の大神さま、地は艮の金神であるぞよ。天にましますのが大神さま、地をかまうのが金神とさだまりて、大神さまからおんゆるしをいただきて、おもてで艮の金神がかまう間は、世界が穏やかで、お土を大事に敬うて、天と地とのご恩ということが分かりておりたので、よい作り(さくもつ)がとれたぞよ。

 世界をこしらえ、人をこしらえて、やれ楽という様になると、元をこしらえたことを見ておらんので、ぬしがでに何でも元がでけたように、われに苦労がしてないと、他の苦労が目につかんぞよ。

 親のしんどいのは子が知らず、神も人民もおなじこと、末代はなにでも続かんのざが、こんど二度目の世の立て替えを致すと、万劫末代を続かす仕組みがしてあるから、地がために骨が折れたのであるぞよ。

 (この神の)世一代と申すと、ながい世でありたぞよ。暮らして来たのでない、暮れて来たのであるぞよ。あとを見かえせば、ほんにこれは夢でありたかと思うようにあるぞよ。




 世界のもとは北がはじまり、こまこう書けば限りがないぞよ。あらまし書いても、この世一代のこと、人民の世一代なら、ちっとの間であるなれど、この世一代と申すと、ながい世でありたぞよ。

 ※ 故に、この神諭の「北」は、地球上の北ではありません。艮の金神と名のられた神さまが、やって来られた「九曜」の大宇宙と見るのが賢明だと考えます。







 この世一代のことを、あらまし書かしてあるから、なにほど書いても書きつくせんなれど、先がせまりてきておるゆえに、あらまし書かして、その間に、こまかいことを、まだまだ書かすぞよ。

 変性男子のやり方は、昔のみろくの世へ立て替えるやり方なり、女子のやり方は緯役(よこやく)であるが、これまでのやり方、ご苦労でありたが、実地の事をさして見せたのでありたなれど、もうこれからは立て替えるやり方、一つに和合がでけて、みろくの世のやり方一つに致して、金勝要の大神どのも、すみ子に鎮まりが程なくあるから、四魂の御霊がすっくり揃うて守護ありだしたら、世界は激しくなるぞよ。

 何かの事がよくわかるように、変性男子には世界にあることを、明治二十五年から知らしてありたなり、みろくの世へ立ちかえる世の教えがさしてあるなり、変性女子は、世界にあることをつけとめておいて、この世のやり方、世界のことがよく調べてあるから、筆先をみて、世界のことを見るとよくわかるように、どちらもご苦労な御役であるぞよ。

            (「大本神諭」第三集)
















 明治三十六年十二月十日

 これ迄よかりた所が悪くなると、申してあるが、ひろみは悪くなると申したが、見ておざれよ。今年中にはわけて見せてやるぞよ。田舎の一番わるき処が皆よくなりて居ろうがな、筆先通りになりて居る。

            (「大本年表」分類六ノ三一九)


 

 
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