2018年08月31日

夫婦と云うものは、

 明治三十七年八月十五日

 艮の金神稚姫岐美命変性男子のみたまが、世界へ現れる時節が参りたから、この世には変わりた事が出来て来るから、これ迄のように思うておると、了見が違うから、みな揃うて改心を致して、みたまのみがき合いを致さんと、これ迄の格合い(流儀)には行かんぞよ。何事も変わるから、明治二十五年から申してある事の、時節が参りて来たのであるから、世の変わり目で、人民が三分に減(な)るという時節が参るのであるが、人民の知りた事では無いから、こういう時節が参りたら、自分(われ)が改心を致そうより仕様は無いから、何事ありても、神と出口に不足を申してくれなよ。みたまの因縁性来で、どう云う事がこの先であるやら、何処に何がある(やら)知れんから、知れんで無いぞよ。世界中のみたまがよくあらためてありての世の立て替えぞよ。

 信心して居りて憂(うれ)いごとがあると、神の道の判らん人民は、神を悪く申すなれど、みたまの因縁の判る時節が、参りて来たのであるから、この世界の霊魂(みたま)の入れ替え、世の洗濯と云うような、大望な時節が参りて来ておるのに、今の人民は何も判らんゆえに、見苦しき心を持ちて、神のきかいにかなわん事ばかりを致したり、申したり、そのめぐりを取りてやるには、骨のおれた事であるぞよ。

 ※ 「みたまの因縁の判る時節が、参りて来たのであるから」 何故この世界が悪く、人が平気で悪い事をするのか、その原因が「みたまの因縁」です。「がいこくじん」と筆先にあるのは、宇宙が外国で、地球の乗っ取りに来た神のことです。

 「神のきかい」は「神の気界」としてありますが、きかい=規戒(いましめ)とするべきと考えます。

 こういった小さなところの読みが大事とおもわれ、積み重ねが「がいこくじん」の正体の理解につながります。







 人民には言うてやりてもようわけず、盲目聾の世になりて居るので、綾部の大本から世の立て替えの事が、日々出口の手で知らして居りた事の、実地が始まるぞよ。これから改心の出来たみたまから、良い方へまわしてやるぞよ。みたまを良く致す、世界の大本になる、大望な処であるから、〇〇霊魂(みたま)から良く成らねば、肉体は入れ物であるから、肉体の中におさまる性念が肝腎であるぞよ。

 ※ この〇〇は、「外国」みたまでしょうか。めずらしく、「みたま」を「霊魂」と当て字してあります。
   そう読むと、大本の中に既に「外国みたま(霊魂)」の人間がいたという事です。




 肉体は変わるなれど、霊魂(みたま)は末代死には致さんから、良き心を持ち直して、神の心に叶うように成りたら、末代の徳と成るぞよ。


 夫婦と云うものは、霊魂(みたま)と霊魂(みたま)で見合いして、縁が結ばして、〇〇この霊魂にはこの霊魂を授ける、この霊魂の宿りて居る肉体には、この霊魂の世話をさすと云う事は、世を持ちて居る、世を構う神の指図で、霊魂を自由に致すのが、この世の守護致すのであるぞよ。

 ※ 「霊魂」はすべて「みたま」と読みます。大変に重要な事柄が述べられています。



 因縁ある霊魂は世に落ちて居りたぞよ。〇〇みな仕組みてあるなれど、これ迄に世を持ちて居れて、世を持ち外して、この世に大将無し同様の世でありたから、霊魂が混ぜこぜに成りてしもうて居るのを立て別けて、良き霊魂と悪き霊魂とを区別して、日本は水晶の世に致して立て直さねば、神国であると云う事が判らんから、何かの事を変性男子の手で、書き残して置くぞよ。

 明治二十五年に出口に、病(やまい)なおしの取り次ぎで無いから、大望な外(ほか)のみたま(ここから「身魂」としてあります)では、出来ん事であると申してあるぞよ。艮の金神が体内に入りて、二度目の世の立て替えを致す、肉体にこしらえてあるなれど、余り粗末にしてあるから、人民が今に疑うて居るなれど、今年には実地が来かけたら、この中から何をもうさいでも、世界から筆先が判りて来るから、要らん事を思うて、取り越し苦労をせんようにして下されよ。

 この先で立て替えの中では、いずれは人が減るから、今度神の御役に立つみたまは、因縁のあるものであるから、どんな辛抱も致さなならんし、させもするなれど、因縁なくては変性男子の一つの種の差し添えにはなれんぞよ。差し添えの種は辛いと申しても、出口の初発の行の事を思うたら、楽なものであるぞよ。出口のこの世の苦労は、昔からの苦労の中では、一番楽にありたのであるぞよ。霊魂(みたま)で苦労がさしてありたから、〇〇〇これからの霊魂は、今度改めしてあるのは、大本へ引きよして、筆先の因縁の判りたみたまをよくして、御用に使うから、霊魂に成りても、肉体でありても、結構であるぞよ。

 ※ この「霊魂(みたま)」では、意味は死んだ人のみたまになり、「御霊」か「御魂」と字を当てる意味で「霊魂」としたのかもしれません。




 


 この先は出口の神と現れて世をかえて、艮の金神が世をかまうと申すのは、霊魂を末代かまう世が参りたのであるから、肉体の在る中に、変性男子の書いた筆先を、よく腹へ入れて置いたら、死にても、また今度この世へ出して貰うても、人がたたき落としても、落ちん霊魂(みたま)に徳が付くのであるから。

 ※ この筆先から知ることが出来るのは、いわゆる霊魂(みたま)、人に入る御魂(みたま)と霊として存在する御霊(みたま)は、「露こくにあがりて居りた極悪神」もこれを「かまう」事が出来たと云う事です。そう読むことが出来ます。ゼカリア・シッチンやデーヴィッド・アイクは、「異星人が人類の進化に介入していた」と云う事を述べては来ましたが、霊魂(みたま)のレベルまでの言及はありませんでした。悪神はこの星に、悪の眷族とも言うべき霊魂(みたま)を、彼らの望むべき世界にする外国みたまを、持ち込んで居たという事を、もう一度、私たちは意識して行くべきなのでしょう。

            (「神霊界」大正六年十月一日号)




 












 同年同月同日

 霊魂(みたま)からよくならねば、肉体は入れ物であるから、肉体の中におさまる性念が肝腎であるぞよ。肉体は変わるなれど、霊魂は末代死には致さんから、良き心を持ち直して神の心にかなうようになりたら、末代の徳となるぞよ。

 日本は水晶の世に致して立て直さねば、神国であるという事がわからんぞよ。

 世をかえて、艮の金神が世をかまうと申すのは、霊魂を末代かまう世が参りたのであるから、肉体のあるうちに、変性男子の書いた筆先をよく腹へ入れておいたら、死にても、また今度この世へ出してもろうても、人がたたき落としても落ちん霊魂に徳がつくのであるぞよ。

            (「大本神諭」第四集)




 
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2018年08月30日

日本の国の行いは、

 明治三十七年七月九日

 やまと魂と申すのは、日本の国の行いは、親は親の行いをしてみせて、子に正道(せいどう)いたすなり、子は子で親をたてるなり、夫婦となりて、家の旦那となりたら、家のうちの大将であるから、大将の行いをいたして、家内には夫が言いきかして、行いがでけさえすれば、気を使いて家内は夫を鄭重(ていちょう)に敬うなり、子には親が行儀、行いをしてみせて、言いきかして、親の威光がありたなら、子が親を親とたてねばならんなり、奉公人使うても、大将の行いがでけんと、そばでは敬うておりても、影では侮ずるから、それぞれの行いさえでけたなら、日本の国はこれほどよい国はないなれど、日本の国はよい国ともうすばかりで、日本の国の行いが、さっぱりすたりてしもうておるぞよ。

 人民に守護しておるみたまが守護神であるぞよ。その守護神の立て替えであるから、その守護神にめぐりの借銭(しゃくせん)あるゆえに、こんど二どめの世の立て替え。このしゃくせん無しをいたさなならんから、つらいみたまがたっぴつ(多数)でけると申してあろうがな。

 ※ さて、みなさん、この「守護神」は何でしょうか。王仁三郎は「守護しておる精霊(みたま)が守護神であるぞよ。」と、みたま=精霊と定義しました。私はこれを、「御魂」=みたまとするべきと考えます。従って、「守護神」は「御魂」です。いわゆる「たましい」が、大本の筆先のいう「一人一人につけてある守護神」なのです。




 人民は金の借り貸しで、金の借銭のことばかりを申しておるなれど、こんどはみたまのめぐりの借銭なしをいたさなならんから、人民に分からんことばかりざぞよ。めぐりの借銭なしはつらいぞよ。ひとを苦しめたら、その苦しめた御魂(みたま)はこれから苦しみが出てくるぞよ。

 人民の心が神ごころになりたら、いったいら(一平)にそろうてきたら、この世は思うように行くなれど、これ迄の末法の世の人民の心では、この世は思うようには行きはせんぞよ。さっぱり末法の世の人民の心を入れ直さんと、実地の神の守護がないから、思うように行きはいたさんぞよ。

            (「大本神諭」第四集)

















 明治三十七年七月十日

 綾部の大本の元の御用いたす人、わが身すてての信心をしておりて下さらんと、われの出世のことやら、思わくあるようことでは、御用がつとめあがらんぞよ。

            (「大本神諭」第四集)

















 明治三十七年八月十日

 出口六十九才、明治三十七年の(旧)六月の二十九日のしるしぞよ。岩戸開き(注1)が明治三十六年の(旧)四月の二十八日に行た折は、この世は真暗がりの世になりて居りた折で、昼白昼に提灯に火を付けて行たのでありたぞよ。岩戸開いたら、神界の方は日の出の守護となりて来て判りかけがしていたのであるぞよ。

 (注1) 弥仙山へ行ったこと。

 ※ 開祖様が岩戸隠れの型をされたときのことです。「神界の方は日の出の守護となりて来て」というところが重要だと考えます。現界の「むすこ」の王仁三郎は開祖様の言うことを聞きませんが、神界の「むすこ」の日の出の神は、竜宮の乙姫様のところから「天」の艮の金神様のところを結ぶ霊の出の「道」を築かれたのだとおもいます。日の出=霊の出で、元の神界が地上に降りる重要な役割を、お母様の手助けを日の出の神はされたのだと考えます。

            (「大本年表」分類七ノ一三〇)
















 明治三十七年八月十三日

 世の洗濯と申すのは、みたまの洗濯のことであるぞよ。

 学があると、人民が吾ほどのものはなきように思うて、日本の行いがでけんようになりて、大へん悪きことほかでけは致さんようになりて今の体裁。こんど日本の国の行いをかえてしまわな、かえねばかえるようにしてかえさすぞよ。

 われがいたすのざと思うから、とりこし苦労をいたすなれど、神に心をまかしておけば、みがけたみたまを使うて、それぞれに守護神に力をつけて御用さすなれど、みがけんみたまはまことの御用はでけんぞよ。こんどは綾部の大本から水晶の世に立て替えるのであるぞよ。

 気は張り弓で御用いたしてもらわなならんなれど、つとめあげて下さりたら、これほど結構な御用は、この世にあとにもさきにも無い御用であるぞよ。

            (「大本神諭」第四集)




 
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2018年08月29日

みろく菩薩となりて、

 明治三十七年六月二十六日

 長いあいだ、大神さまがみろく菩薩となりて、仏事の守護なされたのが、こんど神国に世界中をいたして、昔の松の世へ戻して、改心早い人民から良くしてやる世がまいりたが、改心でけんとじぶ下(どぶ下)になるぞよ。

 これ迄の世は、花の世でありたから、なにかの事、やり方が、上からみると立派にありたなれど、まこと無き実りいたさん末法の世で、人の苦しむ世でありたが、みろくの世に立て替えて、こころやすき世(心が安らかな安心の世)に立て替えるから、早く改心いたされよ。

            (「大本神諭」第四集)

















 明治三十七年六月二十七日

 なにかのことが綾部の大本のなかは、世界のかがみになる大本であるから、この大本にありたことが世界にあるから、この大本の中を見ておりたら、世界のことがよく分かるぞよ。

 ※ 「大本は型(かた)をするところ」とよく言われました。型=かがみです。例えば、こんな感じです。

 地上の大本には、天からの「霊線」が降りています。天の神々が大本に降りて来られるからです。「霊線」とは神様が使われる道のようなものです。また、この「道」が、天からの地上への出来事の反映に使われます。「世界のかがみになる大本」という意味は、大本での人々と神様による出来事が、天の神界にそのまま写る(移る)と云う事で、その現象を「かがみ」という言葉で解りやすく言われたのです。天の神界に出来事がうつりますと、天から地上への反映で(鏡の反射のように)、今度は多角的、多元的に出来事が天から反映されます。こうして、本来の地上と天界(神界)の関係が戻るのです。

 本来の関係はそうしたもので、神様はこの反映(反射・道)に何らかの意図を加えられます。それは自由自在なのです。ですから、神様が望まれる私たちの行いも、神様の意図で、何処にどの様に世界に反映されるかわかりません。しかし、それは、小さな事では無いはずです。

 大本では天からの「霊線」を確立されました。確かに天界と地上は元の形に戻りました。これを立て替えと捉えて間違いは無いでしょう。

            (「大本神諭」第四集)

















 明治三十七年七月三日

 心の洗濯と申すのが、みたまの洗濯のことであるぞよ。神のこころと人民の心と同じこころになりたなら、それが神世と申すのであるから、みな心をもちかえてもらいたいぞよ。

 ※ 神様が望まれる心になったら、そのおもいを神様がすくって、何処かの誰かの役にたつように、私たちには見えないだけで、きっと届いているでしょう。届け、このおもい。地球を包め。

            (「大本神諭」第四集)
















 明治三十七年七月四日

 露国とのたたかいが起きる、混雑になると云う事は、たびたび申してあろうがな。いくさ場が遠いので、さほどに今の人民は思わねど、兵隊の思いをいたせば、何いたしても楽なものであるなれど、これからの暑さにむこうての大たたかい、われに苦労がないと、ひとの事が目につかんような人民は、日本の人民とは申されんぞよ。

            (「大本神諭」第四集)
















 明治三十七年七月五日

 この世でよき事をいたしたみたまは、国替え(死)してからよき守護があるぞよ。みたまに神界から守護があるから、みたまが勇むなれど、悪きこといたしたみたまは底の国。嫌なとこで、悪きみたまばかりが淋しきとこの底の国にやられて、みたまの苦しみが長いぞよ。

 家の内は、女の精神良くないと、家の内が、はごついて(ごたつく)思うように行かんなれど、親は親の行いができ、子は子の行いをいたし、われに行いさえでけたなら、誰も侮ずりもいたさんし、子は親を立てて行けば、家の内に口舌は無いぞよ。

            (「大本神諭」第四集)






      
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