2019年02月28日

「(続)」の神諭

1549779472690.jpg ※ 次の神諭には重要な事が書かれてあります。三一書房の「大本神諭」の日付は新暦ですが、次の神諭の旧暦は「八月五日」です。私が持つ『おほもとしんゆ』(昭和五十八年四月三日初版発行・全七巻)を見てみると、第六巻にありますが、「大正五年旧八月五日(続)」と日付がしてあります。「(続)」なのに、私の持つ『おほもとしんゆ』には「前」の神諭が見当たりません。そして三一書房の方は、新暦の「大正五年九月二日」と日付がしてあるだけで、「(続)」の表記はありません。

 この神諭は『神霊界』に載せられたものです。今はこの不自然さを書いて置く方がよいだろうとおもい、お知らせしておきます。




 大正五年九月二日

 五六七(みろく)様が永らくの間仏事の御守護でおいでましたが、天では弥勒菩薩と仏事の御守護なり、地の世界ではだるま様と御生まれなされて禅宗を御開きなされ、人のみたまを研いて居られたが、何かの時節が参りて来て、元のみろく様の良い世に戻る時節に成りて来たのであるぞよ。

 ※  京都の宇治市に禅宗の有名なお寺があり、そこに大きな布袋尊があります。布袋さんは弥勒菩薩として、中国では扱われるそうです。私の家に何故か、もう大分前の若い時に淡路島のホテルで買った布袋さんがいます。なぜ買ったのか、いまだに理由が分かりません。





 大国常立尊永い間押し込められて居りたなれど、みろく様の世に世が戻る時節がまわりて来て、天地が揃うて来たぞよ。大本のみろく様の世は、神世と申して良い世でありたのを、こういう状態に世がなりたのも、皆時節であるぞよ。

 日本の国は霊の本(ひのもと)のはじまりの国であるから、仏事では世が立ちては行かん、尊い霊の本であるから、やはりこの世には善と悪とをこしらえて、どちらで世が立ちて行くという事を、末代の世を続かせねばならんから、善のやり方はこのやり方、悪のやり方は仏事の学でどんな事でも出来るなれど、仏事では末代の世は続いては行かんと云う事を、今度分けて見せてやるぞよ。末代の世をつぶす事はならんから、いくらで末代の世が続くという事をして見せてやるぞよ。

 悪が末代このままでやりて行こうと思うての企みは良いが、一通りのみたまでは末代の世は持ちて行けんし、悪ではなお持てんし、天の大神様の御真似が出来んと、この世口舌の無い世に致して、世を持ちて行く事は出来んぞよ。一通りのみたまで行も致さずに、どないして居りても、この世が持ちて行けると思うて居るが、今に大きなドエライ間違いが出来て来るぞよ。その事が天地の元をこしらえた天地の先祖は、根本の事から行く末の事、末代の事が見え透いて居りて、これだけ暮れたらこのみたまがこういう目的を立てるとい事は初発からよく判りて居るから、ここになる事は出来ぬぞよ。チト違うた事がありたら、元に戻る事はならんのであるなれど、元のみろく様の御艱難の御徳で、地の先祖もみろく様の御蔭で、結構な行(ぎょう)させて戴いた御蔭で、元の御役をさせて御貰い申す世が参りて来たのであるから、行無しにはまことの事は出来んぞよ。

 ※ 続きます。



   
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2019年02月27日

悪神の思わく

 大正五年八月三十一日

 人の苦労で徳を取ろうと致しても、苦労なしには良い徳は取れんから、苦労は出世の元であると申すのである………善は苦労が長いなれど、十分の苦労がさしてあるが、苦労をしただけの徳は授けるから、苦労なしの事は十分の事はないぞよ。天地の先祖位、この天にも地にもこれだけの苦労を致したみたまはないが、さる代わりにこ行き先は限りなしの末代の世をみろくの世になると、この先は末代の世を天と地との日本の大神で、末代この世には苦絶の無い世に、天はみろく様の御先祖様なり、地の世界との世を地は大国常立尊の先祖で末代の世を治めるぞよ。

 ※ 筆先には文章としておかしい箇所がありますが、読めないと思われる箇所は直してありますが、元の筆先のニュアンスを知ってもらう意味で、そのままで写してある場合もあります。「元の筆先のニュアンス」とは、たぶん、開祖様の話し言葉で、開祖様が普段どの様な言葉を使われていたかを知る事にもつながります。この「おかしい箇所」こそが尊く、文章の未熟さが大神様の意図をリアルにかえって見せられているように感じます。故に筆先は、迫力をもって迫って来ます。かしこい、えらいでは無く、尊いというのはどんな事なのか、誠の心とはどの様な事なのか、私たちに見せられているのです。

             (「大本年表」分類九ノ二八七二八八)

















 同年同月同日

 へんじょうなんしとへんじょうにょしとの和合がでけたら、てんのごせんぞみろく様のおでましとなりてきて、せかいのことがなにかのことが、たいもうばかりであるということがもうしてあることを、みなのしゅごじん人民がおほきなとりちがいをしておりて、あくのしゅごしんは、まざふそくなげに、大望は何時来るだと、なんぞよいことがくるようにおもうて、なにかのことをおほきなとりちがいをしておるぞよ。まこと善のほうのやり方は、はようみろく様のおでましをまちておるなり、悪の性来のしゅごじんは、わるいことをまちておりて、わるいことが出てきたら、わるい方のちすじと悪のけんぞくとだけ残して、われのおもわくを立てようとおもうて、わるいことばかりを待ちておるぞよ。

 ※ 全文ひらがなの神諭ですが、一部を漢字にして写しました。

            (「神霊界」大正九年九月二十一日号)

















 同年同月同日

 この世を末代の世を治めるのは、我は充分の苦労をして来て、厭な事は我の血筋に致さして、人の血筋には傷を付けんように致して、厭な事はなるべく血筋に致す位に、何かの事に目配り心配りを致さんと、誠の善はこれ位に致さんと、誠の善でないぞよ。そのやり方を見習うて、じきのこの中で、いわば元の役員であるぞよ。上に心得ても下を働くそれぞれの役の人に、充分の誠の人でないと、上に心得ても一の番頭二の番頭、付づきの人の精神の実地の天地の先祖の心の合うみたまに気に入る肉体でないと、この先の善一つの世になると、生粋の水晶の世に致すのであるから、毛筋の横幅でも、これ迄の霊が残りて居りたなら、その守護神にも肉体もより分けてしまうから、今から御用の端にでも使うて貰いたいみたまも入れ物もこれ迄の心をさっぱり捨ててしもうて、これ迄の霊の入れ替えを致さんと、これ迄のような楽な心ではさっぱり何かの事が変わるから、男の人も女も一度申し付けた事がこの中に居る間は違わん事にしてもらわんならんから、この先は一日増しに気遣いになるから、口で言わすと気に障るから、大出口の手で大国常立尊が直の手で書いて置くから、心に誠さえありたら、抜き身の中に居るように思うて居らんと、出来んぞよ。これ迄の世はずんだらにありたから、一時にも行かんざろ。なれど天地の元の大神の思いを致せば出来るぞよ。

            (「大本年表」分類九ノ二八九~二九一)

















 同年同月同日

 変性女子の御用が天晴れ解りて来たら、天の御先祖様が天晴れみろく様でありたかと、世に出て居れる方の神が吃驚を致して、血筋と眷族のみたまが納まる所がないから、大変苦しみが出来て来て、思うて居りた事がちょっとの違いでないぞよ。大間違いであるという事が御筆先で行く先に気が付けてあろうがな。一度申した事は違いは無いぞよ。

 ………天と地との元の先祖は日本の国の仕組みは世の元の霊の本であるから、日本の霊の本には一厘の秘密が世の元から、天地の先祖が世の元から誰もようせん秘密の仕組みで、立て替え立て直し、立て替えを致して、そのなりでは置かれんから、後の立て直しが中々の大望であるが、向こうの国には悪の仕組みであるから、日本の国を取りてしもうて、我の系統と悪の眷族とが九分九厘あるから、それで大丈夫と思うて居るが、思うて居る事と大きな間違いがあるから、下の眷族が日本の国の仕組みを知らずに、人さえ大勢ありたらよい、勝てると思うて肝腎仕組みを知らずに浅知恵で仕組みて居る悪の仕組みは奥が無いから、後先かまわずのその時逃れのやり方であるから、仕組みはえらいなれど、先の見えん悪の仕組みは、齢が短いぞよ。

            (「大本年表」分類九ノ二九五~二九八)






             
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2019年02月26日

見当が取れまい

 同年同月同日

 日本の国は元のはじまりがみろく様のいろはからこしらいなされた、いろはは捨てられん、神力の固まりのいろはへ世戻して、これ程はびこりて居る学は仏事であるから、日本の国にはここまでは時代(ときよ)時節には何でも叶わんから、世の元の生き神は日本の国には無い様に落ちてありたなれど、世の元の押し込められて居りた。

            (「大本年表」分類九ノ二五三~二五四参照)

















 大正五年八月二十八日

 これ迄は一厘の仕組みは申さなんだなれど、この先は何かの事が、世界の事が一度になりて来るから、一厘の世の元の仕組みのみたまを御苦労になりて戴かねば出来ん大望な二度目の世の立て替えの末代の事を何も決める綾部の大本であるから、何かの事に皆の思いが大きな大間違いになるが、上へ上がりて末代の仕組みをして居りた守護神に余り大きな間違いで、早速には日本の仕組みの見当が取れまい………。

 知恵学では判らん仕組みがしてありたなれども、何かの時節がまわりて来て、日本の仕組み通りに致して埒よく立て替えを致して、後の立て直しが中々の大望であるから、後の立て直しの御用の間に合うように、日本の国でわかして(生まれ育てて)貰うて居りて外国の眷族になるのは残念であるが、思うて居る事が逆さまであるから、立て替えの間に合わんから、何かの事に気が付いて、これは思いが違うて居りたという事が、各自に発根と気が付いて来たら、改心も出来るであろうが、今では何も判らん守護神、外国の方が良く見えて肝腎の元を下に見下して居るから、思うて居る事が大間違いであると、毎度筆先に気が付けて見せてあるなれど、行く処まで行って見んと、実地の事が判らんから、それでは、も間に合わん、何かの事を遅れて来て居るから、一つ破裂を致したら、何も一度になりて来て、御筆先にある通りに世界がなるから、思い違いをして居ると、大変苦しみが出来るから、気が付くように、日々ここ迄気が付けてあるが、も気の付けようが、も無いから、三四月、八九月と申して御筆先で知らしてある事が世界には遅し早しはあるなれど、皆出て来るぞよ。

            (「大本年表」分類九ノ二八一~二八三)

















 大正五年八月二十六日

 こんな世界に口舌の絶えんやり方を、いつ限(き)り無しに人の殺しあいというようなつまらんこと、いつまでいくさを致しても金は無くなるし、間に合う人民は無い様になるぞよ。

            (「大本神諭」第五集)





 
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