2019年04月26日

瑞の御魂

 ※ 表題の「瑞の御魂」は、筆先に最初に王仁三郎のみたまが「みずのみたま」とあったのを、王仁三郎による当て字でこうしてあります。大正六年六月六日の王仁三郎のことを書いた筆先です。「六六六」で「み(三)ろく(六)」と読めますが同時に、西洋で悪魔の数字とも言われています。

 私解では、どちらも王仁三郎のみたまの側面であると言って置きます。




 



 大正六年六月六日(瑞の御魂)

 七月十二日は〇〇(王仁・三一書房注)の生まれた結構な日柄であるぞよ。この日柄に始めた事は、何事でも善き事なれば一つも滞り無く成就いたすぞよ。

 ※ これも「神霊界」に発表されたものです。私は疑って写しています。



 

 明治四年七月十二日に、貧しき家に産声を上げたものは〇〇(王仁・同注)であるぞよ。外にも沢山にこの日に生まれた身魂はあれども、今度の世の立て直しに成る身魂は、世界に一人より無いぞよ。色々と艱難苦労を致さしたのも、神の仕組みでありたぞよ。

 ※ これは、王仁三郎による「作文」のようです。大神様がこのように言われるとは、考えられません。




 

 二十八歳の二月の九日から、神界の御用に使うたぞよ。鎮魂帰神(ちんこんきしん)の道を言霊彦命(注1)が引き添うて授けたのは、三千世界の神、仏、人民の為であるぞよ。

 ※ (注1) 本田親徳(1823~1889)を指し、出口王仁三郎の思想形成に与(あずか)った人。国学者で、鎮魂帰神法を行い、それらを伝えた。(三一書房の注)

 大神様が本田親徳という人を、「言霊彦命」と言われる筈はありません。まして、鎮魂帰神法の修練が、「三千世界の神、仏、人民の為」等とは、言われる筈がありません。





 世間から色々と悪く申され、苦しめられて、辱しめられて、在るにあられん憂き目に合うたのも、神からの仕組みでありたぞよ。

 ※ この感想は、まったく正しいのです。




 苦労無しにはどんな事でも成就致さんから、夜昼神が守護致して、世界のあるだけの苦労がさしてあるぞよ。まだまだこれからエライ苦労を致さすなれど、この曇りた世を水晶の神世に致して、万古末代の神国にかえす仕組みであるから、チットは外のみたまとは違うたとこが無いと、今度の神界の大望は成就致さんから、素盞鳴尊の霊魂(みたま・龍の注)が授けてあるから、成就致したら、世界大手柄ものと致さす身魂(みたま・龍の注)であるぞよ。

 ※ 私が「王仁三郎の増長がとまらない」と思う根拠が、こんなところに見られます。「みろくの霊」の筆先以来、王仁三郎は、こんなふうに慢心が治らず、増長を続けたのです。でも、大本神舞台の演出家は、こんな事はわかった上で、黙って居られたのです。ですから私たちは、その誠の真意(神意)を見出ださなければ、筆先を理解した事には成らないわけです。





 永らく一つ島に落とされて居りて、今度艮の金神、国常立尊が、沓島冠島から現れなさるに付いて、引き続いて世に現れて、世界を助ける神であれども、この身魂は世界の大化物であるから、人民からはチットも見当が取れんぞよ。世界の事はドンナ事でも致さす、神界の杖柱であるから神徳が世界へ現れて来る程苦労が増えるぞよ。世界の事は何事も皆うつる身魂であるから、世が迫りて来る程苦労の多い身魂であるぞよ。坤の金神うつりて知らせおくぞよ。


 素盞鳴尊がこの世を乱したのであるから、その因縁によってこの世へ来てから、人の知らん辛い苦労を致して、三千世界を治めて、天の大神様へおわたし申さねば、赦して貰えん御魂であるぞよ。
 
 ※ 王仁三郎のみたま、素盞鳴尊が「三千世界を治めて、天の大神様へおわたし」するのだと、王仁三郎によれば素盞鳴尊=国常立尊は同じだと、彼は言う訳です。「赦して貰えん御魂」とも言うのです。彼の国常立尊は、「古代やまと」の国の神のままで、筆先にある「元の国常立尊」ではありません。大神様がいくら気を付けられても、彼にはわからないのです。ですから彼には、「立て替え」がわかっていません。

 この文章が王仁三郎の作文と認められましたので、「みたま」の表記を王仁三郎の作文のままにします。





 世界には変わりた事や、珍しき事が出来(しゅったい)致すから、その覚悟で居らんと、気の小さい事では、到底今度の御用は勤め上がらんので在るぞよ。変生女子の身魂は瑞能御魂であるから、千座の置戸(注2)を負うて、三千世界を助けなならん因縁で在るから、善き事を何程致しても悪く言われるなり、悪き事がチットでも有りたら、四方八方から攻められる御役であるぞよ。この世の御用を致さす為に、生まれ代わり死に代わり昔から苦労が致さして、今度の苦労を一番楽な苦労であるぞよ。

 ※ (注2) 贖罪をいうが、神聖な地位そのものをいう。(三一書房の注)




 針の蓆(むしろ)に座らせられ、蜂の室(むろ)蝮(まむし)の室に放(ほ)り込まれ、手足の爪まで抜き取られ、喉(のど)から血を吐きもって、敵対う身魂を親切にもてなして、改心をさす辛い御役であるぞよ。(そんな辛い御役の王仁三郎の事を・龍の注)一人も誠の事を見透かすものが無いぞよ。この中から今度の大望を成就さして、天照大神様へ御渡し申さな成らんので有るぞよ。

 ※ 筆先には「天照大神」とは出て来ません。「御渡し」するのが「世」であるとしても、その「相手」が天照大神様だとは、さて、化けの皮がはがれたようです。





 八ツ頭八ツ尾の大蛇(おろち)の身魂を、根本の腹の底から改心さして、天下泰平に世を治める、世界に外に代わりの無き御用であるぞよ。今までに度々命まで狙われたのも、世界の事が写りたのでありたぞよ。この者の身の持ち方を見て居りたら、世界はどんな事に成りて居るという事が、解るように神が使う御魂であるから、世がすっくり治まるまでは、色々と言われそしられ苦しめられて、とことんの止めを刺す身魂であるぞよ。

 変生男子は世界の事を知らす御役なり、変生女子は三千世界の経綸(しくみ)を成就さして、世界の神、仏、人民、鳥類、畜類、昆虫(むしけら)までも助ける、至仁至愛(みろく)の御用であるぞよ。この大本の中の元からの役員が、全然(さっぱり)この事を誤解(とりちがい)いたして、何時までも反対をいたすから、誠に女子に気の毒であれども、これも修行(ぎょう)であるから仕上がりたら皆のものがビックリ致して、顔の色を変えて御詫びを致すように成るのが近よりたぞよ。

 ※ 私は、あの当時の大本の役員、王仁三郎を批判された開祖の筆先の信奉者の方々の名誉を守る意味でも、この王仁三郎の「作文」を許すことは出来ません。元の神の仕組みが大事だから、あの当時の役員さんたちは黙られたのです。王仁三郎が正しかったからではありません。




 気苦労は中々あれども、これが神界の経綸であるから、この事の一寸でも解りた身魂は、先になりたらこの世の手柄を致さして、末代名を残してやるぞよ。よく胸に手を当て自分(われ)の行いを考えたら、判るように成りて来るぞよ。皆大変な見当違いを致して、神に重々の気障りがあるぞよ。これでも今のうちに改心いたして、申す様に何事も致せば赦してやりて、元の御用に使うぞよ。神島から現れるまでは、さほどにもなかりたなれど、神島からいよいよ現れたから、容赦いたして居る間がないから、各自(めいめい)にその心得で居らんと、今度は末代取り返しの出来ん事が出来するぞよ。

 次に肝用の竜神(兵庫の深山八大竜神)を眷族と致して、竜門館の金竜海に身体を潜めて守護いたすから、これ迄とは厳しくなるから、これ迄の様に思うて油断を致して、何時までも反対を致す身魂は、モウ容赦は成らんから、ピシピシ懲戒(いましめ)を致すから、改心いたすなら今の間(うち)であるぞよ。

            (「神霊界」大正六年七月号)

 ※ 連休は休みます。5月7日から再開します。



 







           
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2019年04月25日

みろく様が天の御先祖であるぞよ。

 大正六年四月二十九日

 天地の御恩の解りたみたまが無い故に、この世がまっ暗がりに成りてしもうて、めくらつんぼの世であるから、神界の深い仕組みや思し召しが解らんから、日本の霊の元の国が情けないほど惨い事に成りて居るのを、神国の〇(王=天皇(三一書房注))と申しても余りで無いか。
 
 ※ 「日本の霊の元の国」はめずらしく、最初から「ひのもと」を「霊の元」としてあります。「神国の〇」に三一書房の注は、「神国の王」で意味は天皇だとしてあります。私も正しい当て字だとおもいます。




 どう致す事も出来んように成り下がりてしもうて、天の御先祖さまへ何と申し訳をいたすで在るか。早く神の申す事を誠に致して聞き入れぬと、末代の世を持つという事は出来んから、一日も早く改心致して、御先祖様の神様の光を出さねば、三千世界の総損ないに成りて、世界はさっぱり泥海に成るより仕様がないから、艮の金神が三千年余りて世に落ちて居りて、世界を助けたさに苦労艱難をいたして来たが、時節参りて変性男子のみたまの宿りて居る出口直の体内を借りて、日本の元の大神の光を出すのであるから、確りと致さんとこの世はこのままでは治まらんぞよ。
 
 ※ ここまでの事は、日本の天皇に言われていると私解します。




 世に落ちて居る出口直に言わす事であるから、上に立ちて居る守護神の耳へは入りにくいなれど、今にこの世は上下に返るから、今の内に聞いてその覚悟を致さんと、今までのような世の持ち方は何時までもさせては置かんから、めいめい(各自)にその覚悟を致すがよいぞよ。

 ※ 「世に落ちて居る出口直に言わす事であるから、上に立ちて居る守護神の耳へは入りにくい」とあります。それで、王仁三郎の御役として、日本の国の「権力中枢」へと関わり入らせた、これが私解の開祖様亡き後の、第二次大本事件までの王仁三郎の御用と解します。





 今聞いてその様の行いに代えて居らんと、大峠が近寄りたからモウ改心の間が無いから、モウ一度気を付けるぞよ。彼方此方に守護神が人民の肉体を借りて、今度の世の立て替えはおれがすると申して、大分気張りて居るなれど、どうしたら世が替わるという肝心の事が、外のみたまでは解らんので、到底九分九厘までより成就致さんから、腹の中のごもくを皆大河へ流してしもうて、その上に改心を致して、この大本へ御出なされよ。力を付けて手を引き合うて、世の立て替えの止めを刺して手柄を致さすぞよ。今度の事は外で仕組みが成就致さんぞよ。

            (「神霊界」大正六年七月号)

















 大正六年五月二日

 みろく様が天の御先祖であるぞよ。この世をはじめなされた御先祖であるぞよ。月の大神様の昔から仕組みなされた事は、何かの時節が参りて来たから、天地の岩戸を開けて見せねば、何時まで言い聞かして居りても、人民に解らんから、モウ実地をはじめると、如何な我(が)の強い守護神でも、改心せずに居れん事になるぞよ。

 あずまの国は一と晴れの実りの致さぬ薄野尾。実り致さな国は栄えぬぞよ。大分思いの違う守護神が出来て来るぞよ。今迄の心持ちて居りたらどう変わるか判らんから、この世の大将の守護神に日々、手と口とで永らくの間気が付けてありたぞよ。

            (「神霊界」大正六年七月号)

















 同年同月同日

 変性女子の御役もどちらのみたまのお助けは他のみたまではお助けは出来ん大望な御用であるから、どちらの御役も喉から血を吐く如くであるぞよ。血を吐きもってでも、各自につとめ上げてもらわなならん辛い御用であるから、何もありやかにそのままの事を書き残して居るぞよ。

 悪の世が九分九厘で悪の世が善一つのみろく様の誠の道に立て替える時節が参りて来たから、この先は悪のみたまは、霊が、ちっとも利かん様になりて何して見ても、悪の霊はちとも利かんぞよ。そうなるのが我(が)の世が済みたのであるから、九分九厘行ったら、手のひらを返すと申して、御筆先で先に書いて知らしてあろうがな。申した事が皆出て来るぞよ。この先で敵対うて来た守護神は悪の霊がちとも利かん様になるから、何を致して見ても出来ずに、聞かずとしたら、昼狐を放り出した様のものになるぞよ。そんな事になるよりも、素直に致して日本の国に居りても、これ迄の様にはちとも(ちっとも)行かんから、外国で出来る事を致して素直に致せば、みたま相応の事をさしてやりて悪の霊を平らげて外国も世界中を善一つの道にしてしまうから………。

            (「大本年表」分類九ノ三九五~三九七)

















 同年同月同日

 これ迄の世の持ち方は上から見れば、立派な世でありたなれど、腹の中は害をする外国霊に、日本の国の世の元のやまと魂の、元の日本の霊の本のみたまを外国のみたまとすり替えられて、日本の国の結構なやまと魂のみたまを引き抜かれて、仏事から出た学を日本の国に渡りて来られん害を致すから、みたまが害を致す元は学から出た誠の無い唐文字を向こうから渡りて来られんように立て別けてありた日本の国の規則を破りて来て、ここまでは好きすっぽうに致したであろうがな、規則破りは咎(とが)が重いぞよ。

 日本の国はこんな見苦しき国にはしられん大事の霊の本であるぞよ。こうまでに汚した日本の国を水晶の国に致して、天のみろく様御三体の大神様は今度二度目の世の立て替えにて、御三体の大神様が下に降りて、手伝うてやらんと、余り大望な事であるから、と申しなされて八年あとに勿体なくも天の天照皇大神宮が大出口直におうつりになりなされたが、今の事であるぞよ。

 天地の先祖は永らくの苦労艱難悔し残念をこばりつめて来ねば、今度の二度目の世の立て替えは一通りの事をして居りては、二度目の世の立て替えは出来は致さんから、この世が来るのは世の元からよくわかりて居るから、世の元からひと(他人)の血筋には嫌な事はさせられんから、元の根本の血筋に嫌な事はさしてあるぞよ………。

            (「大本年表」分類九ノ三九九~四〇一)




   
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2019年04月24日

誠のある人民には、

 大正六年四月十七日

 永らくの間陰の守護で在りたなれど、陰の守護ではモウ一寸も先へは行けんから、何かの時節が参りて来てこれ迄の暗がりの世が日の出の守護と天晴れ成りて来たから、日の出の守護と成ると、これ迄の様な事はしもさせも致しも出来んぞよ。彼方からも此方からも後光がさして、眩(まぶ)し成ると云う事が、御筆先で知らしてあるぞよ。筆先に出してある事がそのままの事に成りて、大本の中は彼方も此方も結構な事になって居るから、何となく日に増しに気遣いに成るから、これ迄の心をさっぱり放り出してしもうて、水晶の心になりて来たら、嬉し嬉しで暮らせる様に成るのに、心が見苦しいと結構なお蔭もよう取らずに、我と我がみたまが身を攻めて、いつも苦しみて居るぞよ。

 心さえ良くば四方から後光がさして、光り渡る様に成るぞよ。水晶魂(だま)の選り抜きを神の御用に使うと云う事が御筆先で知らしてあろうがな。お筆先をよく腹へ入れて置かんと、お姿が目の前へお出で遊ばしても拝めんから、腹の中にごもくの無いようにして、誠と云う事が腹の中に一つ在りたなら、ドンナ事でも見えも致すし出来も致す、昔の元の神世と成る尊い、世界の大本で在るぞよ。誠のある人民にはドンナ神徳でもわたして、世界の鏡と致すぞよ。


 大本の中は申してある様に、神の守護は成りて居るのに、この中に居る人、見えも聞こえも致さんと、神のきかいに叶わん事が出来ては成らんから、成るべく清らかに揃うて致されよ。古き世の元からの事が、いろは四十八文字で、大出口直の手で書いて在るから、知れん事が在りたら世界の事は何なりと説いて聞かしてやるぞよ。時節でしぜんに成りて来る事が、皆前つ前つに知らしてあるぞよ。仕組みが遅く成りただけは何も一緒に成りて来て、世界が混雑に成るが、人民の思いが大きな間違いと成りて、大きな取り違いの守護神に使われて居ると腰も抜ける顎も外れる、大きな息も出来ん様な事のない様にしておりて下されよ。

 慢心と取り違いとが在りたら、

 ※ 大神様が何度もこう言われるのは、この時すでに人々の中に、大事な御用をする人に、慢心があったからに違い無いのです。





 ドレだけ知恵や学が在りても、ドンナ学が在りても、知恵学でどれ程考えても見当の取れん仕組みがしてあるから、何もみな物事がすこたん(失敗)となるぞよ。真心になりて生まれ産の天真に成りて来たら、ドンナ事でも神の仕組みはよく判る様にしてあるなれど、何も判らんのはみたまが曇りて居るから、慢心取り違いが出来て判らんのじゃぞよ。

二度目の世の立て替えはこれ程曇り切りて居るこの世界を、洗い替えのさらつ(新しい)の世に致して、これ程曇りて居るみたまを三段に立て分けて、目鼻を付けて、末代乱れん水晶の明らかな神世に致すのであるが、立て替え立て分けを致して、末代続かして行くと云う事は、この変わり目が大望な事で在るぞよ。チョット曇りが在りたら選り抜いて、天地の規則通りに照らしてしまうと、助かるみたまは読む程より無いから、早う揃うてみたまを水晶に磨く様に、念に念を入れて、昼夜に気を付けるのであるぞよ。

 仕組みが世の元からしてありて、その通りが時節で成りて来るのが御筆先に出してあるのじゃから、直の御用は仕組みがしてある通りを、チットも違わぬ様に致すのであるから、夜寝ても寝られん、御用がすむ迄は、抜き身の中に立ちて居る如くで、辛い御用で在るから、推量をしてやりて貰わんと、ほかに助(すけ・たすけ)の出来ん事で在るから、何に付いても辛い事で在る。大事の仕組みを早う申せば邪魔が入りて、肝腎の事が遅くなるし、言わねば判らず、言えば何も知らんこれ迄の悪の方の眷族が入り込みて、放り出してもいに(帰り)はせんし、辛い事であるなれど、放り出してもいなん所までの事は判りて居らず、言えば気に障るし、言葉の代わりに御筆先でよく判る様に書き知らせ置くから、

 ※ 「放り出してもいなん所までの事は判りて居らず」の「判りて」いない人、「言えば気に障る」人は、さあ、誰でしょう。




 これを見て我の腹の中はドウじゃ、コレではドウじゃ、思い違いは無いかと、めんめ(各自)にさにわを致して、みたまの磨き合いを致されよ。

 ※ 「さにわ」は、王仁三郎はいつも「審判」とか「審神」と当て字をします。本来は「憑かれた神の判断をする事」ですので、「自らの守護神をサニワしなさい」ということです。





 人に言うて貰うと腹が立つから、この先で善と悪とが立て判るから、その鏡を見て改心を致されよ。この仕組み、今では見当が取れんので、直(じき)の取り次ぎは喉から血を吐くなれど、口をつまえて(閉じて)、行く所までなるべく言わんようにして、めんめにお陰を取らんならん、一つ一つ言うて貰う様な事では、この大本は御用する人は、目から鼻へ抜け通る程何かの事が見え透かねば、御用が出来んぞよ。今の守護神は悪の方の血筋(ちすじ・霊系)、ひっぽう(霊統)、眷族で在るから、善の方へ立ち返りて貰わんと善の方の御用は一通りの世に出て居れる方(ほう)の神ではして貰えんぞよ。

 ※ 「御用」とありますので、この筆先が大本の中の事を書いておられることが判ります。世の、世間の、一般の事では無く、明確に、大神様の神界の型をする大本の事です。「悪の方の血筋………」も、大本の事なのです。視点を王仁三郎のように、ずらすと、全てはひっくり返って見えますが、大本の中の事です。




 神のきかいに叶うたみたまの性来で在りたら、善い方へ早う回してやりて、御用をさすなれど、混ぜりの在る間は、綾部の大本の世を開く誠の御用は出来んぞよ。



 昔から永くかかりた世の元の仕組みの判る世が参りて来たから、この先は一日増しに仕組みて在る事がよく判るから、早うから綾部の大本へ来て居りて、今に何も判らん様な事では、恥ずかしいやら面目ない事になりて、人に顔を合わすのも嫌になるから、初発から女でも誠が在るものはドンナ神徳(しんとく)でも神からわたすなれど、心が間違うて居ると、何時に成りても膝下(ひぢね)に居りても何も判らん、よいお陰は貰えんと申して在るぞよ。

 これから天晴れ表へ出て守護を致さねば、世界中の大きな難渋と成るから、何かの準備を立てて、判る人に分けさして、天晴れ表へ出て、世界に小言の無いように、元の天地の先祖の生き神が、世界中を一つに丸めて、神国の世に致す仕組みがしてあるなれど、余り悪の守護で、世界中が暗闇同様、この誠を誠に受け取る人民が無いのは、世に出て居れる方(ほう)の守護神に判りておらんから、人民に判らんので在りたぞよ。判るみたまを引き寄して、天地の先祖の仕組み通りに致して、天地の先祖が世界中の王の王と成りて、二度目の世の立て替えを致したら、ほかのみたまでは出来ん事を致すのであるから、従う所へ従うて来んと、世界が何時になりても治まると云う事が無いから、ここまでは何のみたまにも不足の無いように、好きな様にさせて在りたのであるから、ここまでに致したらこれに不足はよもやあろまい。

 この末法の世の終(しま)いをこの方が受け取りて、これからはこの方の仕組み通り。世界中のみたまを上中下と三段に立て別けて、法律何かの事を速やかに変えてしまうぞよ。これ迄の守護神の性来は霊の本(ひのもと)の日本の国には置く事は出来んから、日本の国は霊の本のやまと魂にしてしまうから、これ迄の様なやり方はさせんから、申す事何なりと背いてして見よれ、行く処まで行きたらよく判るぞよ。素直なみたまをこの方(ほう)は好くから、早く改心致さんと、上も下も難渋に成りて、世界中が総損ないに成りては成らんぞよ。

            (「神霊界」大正八年八月一日号)



   
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