2019年09月30日

はじめに

KIMG0002.JPG 『クリシュナムルティの瞑想録  自由への飛翔』(大野純一 訳・平河出版社  第一刷発行ーー1982年、第二三刷ーー2014年) 著者J・クリシュナムルティ

 「訳者あとがき」の「★〈星の教団〉の解散宣言について」(P281)



 

 最後に、本書の付録とした、クリシュナムルティ自身による〈星の教団〉の解散宣言について、ごく簡単に説明しておきたい。…………

 
 1891年、神智学協会の創設者ブラバッキー夫人は、協会の本当の目的は、〈世界教師〉が地上に再臨なさるときのために会員たちを準備させることである、と告げた。そしてこの準備は、協会の後継者べザント夫人とリードビーターによって本格的に取り組まれることになったのである。

 そしてそのためには、世界教師をその身に宿すべき〈器〉を見出すことが必要であった。この役目を受けたリードビーターは、最初、眉目秀麗なドイツ人の少年を選んだが、ほどなくして、その霊力によって、インド人の少年に白羽の矢を立てた。それがクリシュナムルティであった。1909年、クリシュナムルティが十四歳のときのことである。そして、将来、世界教師に導かれて、世界に福音をもたらすべき組織として、協会とは別個に創設されたのが、〈星の教団〉なのである。1911年(明治44年)のことであった。


 クリシュナ少年は、指導者としての素養を身につけるべく、弟のニティーヤとともにイギリスに連れていかれ、そこでさしあたりオックスフォード入学をめざして勉強をしたが、諸種の理由で入学しないまま、1921年にインドに帰った。しかし翌年、弟の健康が勝れないので、療養を兼ねて、アメリカに渡った。療養先は、ロスアンゼルスから八十マイルほど離れた、オーハイ峡谷の中にあった。インディアン語で〈巣〉を意味するこの地で、クリシュナムルティは、人生上の一大転機となったある〈神秘体験〉を持った。二十五歳のときのことである。この神秘体験によって、彼は、彼自身の言葉によれば、〈生の源泉の、清澄たる水〉を飲んだのである。

 「私の渇きは癒された。二度と私は渇きをおぼえまい。二度と私は無明の闇に落ち込むことはないであろう。私は〈光明〉を見た。私は、一切の悲嘆と苦悩を癒す慈悲の大海に触れたのである。私は山頂に立って、力強い〈方々(かたがた)〉を見つめたのである。〈真理の泉〉が私に開示された。無明の闇は消え去った。栄光に包まれた愛が私の心を酔わせた。私の心は決して閉じることはないであろう。私は歓喜の泉、永遠の美の泉の水を飲んだ。私は神に酩酊(めいてい)している」



 この神秘体験は決定的であった。これ以降、表面上は、星の教団の若き指導者として、つつがなく活動を続けていたが、クリシュナムルティの中では急速に、真理の直接的(強調点「ヽ」が付けられている)体験を重視する傾向が強まっていった。1926年(昭和元年)、オランダのオーメン・キャンプでの教団の大会で、彼は「ワールド・ティーチャー」と題する講演を行った。その終わりの方で、彼は次のように話した。

 「〈彼〉は真に欲する者、真に願い、切望する者のところにのみやってくる」。このとき急に彼の声はすっかり変り、朗々として響き渡った。「そして私(強調点)はやってきた、思いやりを求める者、幸福を願う者、解放されることを希求している者、あらゆるものに幸福をと切望する者のために。私(強調点)は破壊ではなく、改革するために、壊すためにではなく、建てるためにやってきたのである」。

 神人(強調点)が誕生したのである。そのとき居合わせた人々の多くは、三人称から一人称への変化とともに、声の調子の変化に気づいて、「脊髄がぞくり」とするような衝撃を受けたという。

 その後しばらくすると、さらに次のような言葉が聞かれる。「新たな生、新たな嵐が世界に巻き起こった。一切のものに吹き渡り、浄化する強い突風のように、木々のほこりをことごとく吹き払い、われわれの精神の内部のくもの巣を払い落として、全き浄化をもたらすであろう……」




※ 続きます。
posted by 無来 龍 at 10:03| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

ブログの最終に向かって

 いろんな事について書いてきた私のこのブログですが、そろそろ最終に向かっています。次は何をと考えましたが、やはり、じっくりとここは、クリシュナムルティさんの講話に心を合わせて、「改心」の質を捉えてみるべきなのでしょう。

 でも、タブレットが駄目になって、新しいタブレットを買いましたが、文字を打つのに難儀しています。

 あと一ヶ月休みます。


 
posted by 無来 龍 at 10:08| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする