2019年11月06日

イメージの重荷が………その2


質問者: わたしたちは安心というものがあるのかを、あるいは、ただの概念にすぎないのかを見出すべきではありませんか?





k: いまから、その話をするところです。先ほど言いましたように、脳には安心が必要です。そうでないと、みなさんは適切に機能できません。完全に安心している子どものようなもので、幸せで、より速く学びます。ですが、家庭が壊れ、お父さんとお母さんが争っているとき、かわいそうな子どもは途方にくれ、神経症的に、暴力的になり、発砲し、人を殺します。そういうことはご存じですね。

それでは、みなさんは、イメージに安心を見出しますか?そこを見据えて、気づいてください。

良いイメージか悪いイメージかという話ではありませんーーみなさんは、そこから安心を得るイメージや結論をもっていますか?ーーどうでしょう?





質問者: 一時的な安心ですね。あるいは、愛する人と離れ離れであれば、イメージを抱きます。





k: そうーー愛する人と離れたときの一時的な安心。愛する誰かがアメリカにいて、あなたはここにおり、離れ離れだと感じる。そこで、彼のイメージを抱き、一時的にそのイメージがあなたに安らぎを与える。ですが、アメリカにいる愛する人は、別の女性を追いかけているかもしれませんよ!





質問者: しかし、科学はすべてイメージに基いており、それが自然です。





k: 話をシンプルにしましょう。それでなくても複雑なのですから。あなたはイメージをもっていて、脳、精神、感情は、そこに既得権を確立しており、それゆえに、そこにしがみつき、イメージを捨てようとしないのではありませんか?

それで、あなたの精神は怠惰なのです。

それから、あなたはご自分に問いかけます。「どうすればイメージ作りをやめられるのか?」「どうすれば、いつも結論づけず、精神が常に完全に自由で、すべてと新しく出会えるのか?」「樹木が、あなたが、すべてが新しく、新鮮で、自由になるのか?」と。

わたしは、思考という仕組みがどのようにイメージを作り上げるのかを見てきました。あなたはそれをご覧になりましたか?ほんとうに、ご覧になりましたか?あなたは観察し、イメージ作りについての洞察を得ていますか?もし、洞察を得ているなら、あなたはもう、どんなイメージも作ろうとはしないでしょう。なぜなら、洞察は安心ですから。どうでしょう、洞察は得られましたか?





質問者: イメージに気づかせるのは、記憶ですか?





k: いや、あなたに会った最初から、わたしはある印象を、心地良い、あるいは不快な印象を、あなたについて抱きます。その印象は、砂の上の薄い足跡のように、ほんのかすかなものかもしれません。ですが、次にあなたと会うとき、その足跡は、もうちょっとはっきりします。そして、三度目になると、もっとくっきりします。その印象は、あなたとの接触を通じて、どんどん強くなっていきます。ですが、もし、わたしが何の印象ももっていなければ、あなたと会うたびに、あなたを見直し、観察し、耳を傾け、新たに感じなくてはならないでしょうーーそれは、はるかに厄介で、それよりも、「あなたについてのイメージがある。あなたはこうこうだーー終わり」と言うほうが簡単なのです。そのイメージを確立したことで、イメージはわたしに安心を与え、わたしはもう、それ以上、あなたについて学びたいとは思わなくなります。

ここまでは理解なさいましたか?理解ーーそれは、そこに分け入る洞察を得たことを、したがって、あなたの怠惰とイメージを捨てたことを意味します。いかがですか?もし、違うのでしたら、なぜ、違うのでしょう?何が問題なのでしょう?みなさんは今日、お金とエネルギーを使ってここにやってきて、暑いテントのなかに座っていますが、自分のイメージは手つかずでお帰りになる。それでいいのですか?

その馬鹿らしさを、信じているもののなかに安心はないことを自分で見ていながら、どうして、今までと同じことを続けるのですか?あなたが株をもっていて、株式市場でその株にリスクがあると思ったら、株を売りはしませんか?もっと安心な株を買うのではありませんか?なぜ、ここでは同じことをしないのでしょう?ーーここは株式市場ではありませんが!



posted by 無来 龍 at 10:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする