2020年01月16日

時間は心理的な……その2

時間、この長い継続期間は、問題を解決しませんでした。それなら、わたしたちは時間を誤解してきたのかもしれません。つまり、わたしたちはあと四万年たったら、莫大な知識を獲得し、知識を通じて向上して、いずれはどんな葛藤も無秩序も卒業するのではないか、と期待してきたのです。時間をあてにすることで、わたしたちは時間の意味を誤解してきたのかもしれないのです。わたしはこうこうだった、あるいは、いまはこうだが、変化する時間を与えてほしい、と。

わたしたちには、四万年か四万五千年の時間がありました。そして、いまなお、非常に原始的です。ですから、そのような時間の考え方は間違っているのかもしれません。新しい時間の見方、この問題全体への新しい取り組み方があるのかもしれません。



みなさんがここからご自宅に帰る等々には時間が必要ですが、しかし、心理的にはーー心理的というのがお好きでなければ、内面的には、あるいは、それもお好きでないなら、皮膚の内側ではーーわたしたちは、時間を継続期間として、そこからは、やがて、とてつもなく正気で、合理的で、健康で、葛藤のない人間が現れるであろう継続期間として受け止めてきました。しかし、時間はそういうものではありませんでした。四万年が過ぎました。あと四万年待っても、みなさんはまったくいまのままでしょう。それが論理的な帰結です。



それでは、時間の全体的な意味を見つめてみましょう。時間は過去であり、わたしたちの意識の中身全体であり、もし「意識(consciousness)」という言葉がお好きでないなら、反応の世界全体であり、それは過去ーー受け継ぎ、獲得してきた、人種的、環境的な、数千年にわたって集めてきたすべての記憶とともにある過去です。そして、その時間とは、過去とは、いまです。みなさんは過去です。同意なさいますか?

みなさんは過去であり、過去に蓄積した全記憶です。みなさんは記憶です。記憶には蓄積する時間が必要です。そして、未来、明日、一千(1000)もの明日は、いまのみなさんですーーおわかりですか?明らかなことです。ですから、未来はいまです。では、こんなことは可能でしょうか?ーーどうか、ここを理解してくださいーー古い時間に介入させず、すべての時間はいまである、という新しい感覚を許容することは可能でしょうか?


ご理解いただけますか?わたしが無秩序のなかで生きていて、それに気づいているとします。わたしは自分に言います。「このことと徐々に取り組もう」「これについて考えよう」「このなかに分け入ることにしよう」。これはすべて、時間を意味しています。それは明白なのです。「このことの原因を見出すことにしよう」。そのすべてに時間がかかります。どうか、少なくともそこは同意して、事実を見てください。

そして、わたしは、これは時間への間違った取り組み方だ、と見ます。それで、完全にそれを捨てます。つまりは、脳の条件づけを、古い時間のパターンを受け入れていた脳の条件づけを破壊しますーーというか、事実を見ることが条件づけを破壊するのです。



さて、わたしは時間についての古い考え方を捨て、いま、時間をありのままに見つめます。すべての時間はいまです。それがわかれば、わたしはいま、完全に変わります。つまり、脳の条件づけが解かれるのです。その脳は時間への古い取り組みに慣れていましたが、わたしはその条件づけを破壊します。なぜなら、その事実と虚偽を見るからです。そして、その知覚そのもののなかで、根源的な変化が起こっています。つまり、その知覚そのものに、瞬時の行動があるのです。わたしは時間なしに行為します。それは、考えるプロセスが起こらない、という意味です。おわかりになりますか?さあ、どうでしょう!
posted by 無来 龍 at 10:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする