2013年06月23日

カバネ(姓)

DSC_0376.jpg※カバネ(姓)を制定したのは応神(昆支・武)大王だといわれます。臣・連がこれまで出てきましたが、君・公・スクネとか、直・部とか、そのカバネによってその人の位が分かるようにしてあります。

すべてを書きうつし出来ませんが、藤原と中臣ぐらいは分かるように、抜粋、転載します。

応神が制定したカバネを、708年の新神祇制度施行の時、また多くの氏族のカバネが改変されたと、石渡さんは推定されます。



『蘇我氏の実像』で説明したように、臣(おみ)・連(むらじ)などのカバネ(姓)は応神(昆支・武)大王が493年(癸酉年)に定め、欽明大王が536年(丙辰年)に改正したものである。

応神系と継体系の氏族、応神系大王家と継体系大王家の姻戚となった崇神系の氏族、および、この二つの大王家のために貢献した崇神系の氏族に臣(おみ)が与えられ、

連はその他の大部分の崇神系の氏族に与えられた。

そして、684年に天武が「八色の姓」を定めたが、原則として臣は朝臣、連は宿禰(スクネ)とされたと考えられる。そして、708年の新神祇制度施行の時、多くの氏族のカバネが改変されたと推定される。

〇大伴氏のカバネの改変
〇大伴氏の支族、出雲臣
は省略して、

〇藤原氏・中臣氏のカバネ(姓)に入ります。



『日本書紀』によると、中臣鎌足連は、669年(天智8)10月に、天智から藤原の「姓(うぢ)」を与えられ、「藤原氏」とされ、「大臣(おほおみ)」の位を授けられたので、「藤原内大臣(ふじわらのうちつおほおみ)」と呼ばれるようになったという。

しかし、藤原という氏の名は、地名に因んだものとみられるが、持統時代(687〜697)に新益京の藤原宮の造営が開始される前は、この地は低湿地帯であった。………また、地名の藤原は、後期百済系倭国の別称「大東加羅(かすから)」がカスカラ→クスカラ→クシハラ→フシハラ→フジハラと訛ったものだから、崇神系の氏族中臣連の首長鎌足が好む氏の名であったとは考えられない。

藤原の氏の名を望んだのは、藤原宮で権力をほしいままに振るった不比等(鎌足の次男)と考えられる………

そして、中臣氏に限って、臣というカバネと同じ字の「臣」が、氏の名に使用されていることも異常である。この異常な氏の名は、継体時代に物部氏が皇親氏族として臣のカバネを与えられた時、物部氏の傍系の中氏もカバネを与えられ、「中臣(なかのおみ)」と呼ばれたことを、不比等が非公式に記録するために作り出したものであろう。

※不比等はなかなかの権力者です。公式には書けないことも、ちゃんと、別のところで書き残しています。それを発見する石渡さんの研究も、不比等に負けてはいません。


「神代紀」第7段本文に「中臣連の遠祖天児屋命(あまのこやねのみこと)」、1書第2に「【中臣】の遠祖天児屋命」、1書第3に「中臣の遠祖興台産霊(こごとむすひ)が児天児屋命」とあり、1書第2だけ「中臣」とあり、カバネの連がないのも、継体時代に「中臣(なかのおみ)」であったことを知らせる暗号であろう。


中臣は、531年の辛亥のクーデターで、継体大王に味方したために、欽明時代の534年にカバネを連に落とされ、669年(天智8)10月に天智によって鎌足は中臣に戻された。

しかし、672年の壬申の乱で、右大臣中臣金が大友王子側についたので、天武時代に再び中連とされ、「八色の姓」が定められた時に、中宿禰とされたが、持統時代に不比等が中朝臣不比等とされたのであろう。


中臣の「中」は前期百済系倭国の別称「南加羅(なから)」に由来するものとみられる。後期百済系倭国(大東加羅)によって臣下の身分に落とされた中朝臣不比等は、「東加羅」に由来する「蘇我」「春日」などの氏の名に引け目を感じていたが、708年の新神祇制度施行の際に、「大東加羅」に由来する藤原朝臣不比等と氏の名を改めたと考えられる。
posted by 無来 龍 at 17:22| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。はじめまして。

興味深い投稿をいつも楽しみに見ています。
元々自分のルーツ探しをしていまして、このページを見つけた次第です。

“カスカラ→クスカラ→クシハラ→フシハラ→フジハラと訛ったもの”とのことですが、文献等は何でしょうか?
もしよろしければ教えてください。


私事になりますが、
現在住まいは青森県、実家は長野県南部です。
1学年200名の小学校に通っていましたが、その年は自分も含め3名、同姓がいました。親戚ではないみたいです。
曽祖父の父母は二人とも養子で、本家が不明です。
Posted by クシハラ at 2020年01月08日 09:15
こんにちは。

著者は石渡信一郎(亡)さんです。

『日本神話と藤原不比等』発行所信和書房(「新世紀の古代史4」2012年)のP102「藤原氏・中臣氏のカバネ(姓)」です。

参考にしていただいて、石渡古代史説に興味を持っていただきたいと思います。
Posted by 龍 at 2020年01月08日 17:24
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