2014年01月06日

アマテラス

『日本神話と史実(上)』(「新世紀の古代史5」)著者石渡信一郎・信和書房(2012)より、抜粋して転載します。



初代前期百済系倭国(大加羅)王の崇神(旨・首露・脱解。在位342〜379)は、379年(己卯年)に死亡したが、当時、前期百済系倭国(大加羅)の支配領域は朝鮮半島の新羅・加羅(加羅系諸国の総称)と、日本列島の九州地方から東北地方南部までの広い地域に及んでいた。


第2代前期百済系倭国(大加羅)王の垂仁(高)は、崇神(旨・首露・脱解)の陵墓を、金官加羅の王都(現在の金海市)と、前期百済系倭国(大加羅)の王都纒向(まきむく・奈良県桜井市)に造った。前者が首露王陵、後者が箸墓古墳(はしはかこふん)と考えられる。

※正月番組でNHKが、奈良県桜井市で発掘された纒向遺跡のことを放送しました。放送の内容は、纒向に建てられていたであろう建物が、伊勢神宮の内宮(祭神天照大御神)と出雲大社の本殿に似ているということです。

纒向には二つの大きな建物があって、その一つが伊勢内宮に、もう一つが出雲大社本殿に似ていて、どうやら昨年遷宮があった二つのお宮の原形が、この纒向に既に建てられていたというのでした。

しかしながら、番組では、当然のように、「崇神」「百済系」の言葉はひとつも出ませんでした。今は畑に戻された纒向遺跡は、箸墓古墳の北の方にあります。祖父の母親の出身地、桜井市にあります。



………三輪山の大神神社付近に崇神(旨・首露・脱解)の霊が、三輪山の神、ヤマトの日神、建国神として祭られた時期は、讃(イニシキイリヒコ)時代(410〜437)の429年と推定される(『日本神話と藤原不比等』)。

※倭国王
崇神(旨・首露・脱解)→垂仁(高)→讃(イニシキイリヒコ)→珍(ワカキニイリヒコ)→済(ホムダマワカ)→興→武(「応神」・昆支)→継体




そして、この頃、三輪山の檜原神社付近に崇神(旨・首露・脱解)の后(きさき)の霊がヒメ神として祭られたとみられる。

三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の霊はオホヒコ(王日子)・アマテルオホヒコ(天照大日子)・アマテルヒコ(天照日子)・アマテルオホヒ(天照大日)などの神名で呼ばれていたと考えられる。


崇神(旨・首露・脱解)は、稲荷山古墳(埼玉県)出土の有銘鉄剣には「意富比〇」と刻まれているが、

※〇は「土」に「危」で、「おほひこ」です。


「崇神紀」にみえる大彦命(おおひこのみこと)は崇神(旨・首露・脱解)の分身であり、「大彦」は「大日子」と同義である。そして、三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の霊アマテル=オホヒコは、ヤマトの日神・建国神であるとともに、加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった。

※「分祀」とは、例えば八幡宮です。八幡と名の付いた神社が全国にありますが、分祀(ぶんし・神を分けてまつる)して各地でまつられたのです。



例えば、沖ノ島(九州北部沖合・福岡県宗像市)の祭祀は、倭国王済(ホムダマワカ。443〜461)が443年に宋(中国)に朝貢した時に、航海安全を祈って、建国神崇神(旨・首露・脱解)の霊を祭ったのが、始まりと考えられる。

しかし、欽明(きんめい・「応神」の子。継体の後の倭国王)時代の537年(丁巳年)に応神(昆支・武)の霊イタケルが新しい日神・「建邦之神」として三輪山の大神神社(おおみわ)に祭られ、古い日神・建国神の崇神(旨・首露・脱解)の霊アマテル=オホヒコはイタケルの妻神=ヒメ神とされて、三輪山の檜原神社にヒメ神として祭られていた崇神(旨・首露・脱解)の后の霊と交替した。

現在主要な神社に祭られているヒメ神の多くは、欽明時代の537年以降に「建邦之神」イタケルの妻神=ヒメ神とされた崇神(旨・首露・脱解)の霊としてみていい。

例えば、宇佐八幡宮の比〇(「口」に「羊」=メ)神は八幡神の妻神であり、かつ八幡神を祭る巫女神であったとされているが、巫女神ではない。八幡神は元「建邦之神」の応神(昆支・武)の霊であり、比〇神は妻神とされた崇神(旨・首露・脱解)の霊とみられる(『日本神話と史実(下)』参照)。…………

※石渡説ではアマテラスは、崇神(旨・首露・脱解)だとみています。論証はたくさんあり、ここに転載するのはその一部です。

崇神(旨・首露・脱解)をアマテラスにしたのは、藤原不比等だろうと石渡説はみています。



…………神名アマテラスについていえば、欽明時代の537年に後期百済系倭国(大東加羅)の「建邦之神」イタケルのヒメ神とされた崇神(旨・首露・脱解)の霊はオホヒメ・オホヒルメ・アマテルヒメ・アカルヒメなどと呼ばれていたが、690年に皇祖神・日神・聖母神となり、アマテラス・オホヒルメ・アマテラスヒルメ(天照日女)・アマテラスオホヒルメなどと呼ばれるようになった。…………



三輪山のヒメ神崇神(旨・首露・脱解)の霊を「建邦之神」の聖母神とすることは、高句麗で行われていた始祖朱蒙(しゅもう)の祭祀形態から、不比等が考えついたことであろう。

『周書』高句麗伝には、高句麗の始祖朱蒙の母(夫余(ふよ)神)を祭る神廟と、朱蒙神を祭る神廟とがあると記されており、………668年の高句麗滅亡の際、「日本国」に亡命した高句麗王族がいたから、高句麗の始祖神信仰について、不比等は正確な知識を得ていたとみられる。………………

※現存する「イタキソ神社」を、他の著作を参照して「イダキソ」とみて、「抱く」から聖母神像を発見して行く。



……アマテラスは……689年に誕生した太陽神、崇神(旨・首露・脱解)の霊である。

※以上、『日本神話と史実(上)』第3章「アマテラスの誕生」P87〜98を抜粋、転載しました。
posted by 無来 龍 at 10:43| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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