2014年01月06日

『古代蝦夷(エミシ)と天皇家』

※私はまた、今の私には難しい石渡説を紹介しようとおもう。石渡説が重要な視点をいくつも投げかけている事は分かる、しかし、それらを自分の中で消化しようとすれば時間が必要だ。でも、私たちに、そんな時間を費やせる「時間」が本当にあるだろうか、私はおもうのだ。

「時間なら有るじゃない」と考える人もいるだろう。でも、私はそうはおもわない。理由はここでは書かない。これを読んだ人が、本を手にするなり、図書館に行って読んでくれるなり、時にはコピーをして資料として置いてくれるのを望みたい。



『古代蝦夷(エミシ)と天皇家』ー古代国家の形成と日本人の起源

1994年 三ー書房


はじめに

蝦夷という語は、近世ではエゾと読まれて、アイヌの人々を指す語であったが、古代では、東北・北海道の住民の呼称であって、エミシ・エミス・エビスなどと読まれていた。

古代日本国家が、征服した蝦夷の実体を正確に記録していないために、蝦夷については不明な点が多い。例えば、次のような基本的な問題もまだ解明されていない。
〇古代の東北・北海道の住民はなぜエミシ(蝦夷)と呼ばれたか。

〇蝦夷という字はカイとも読めるか。

〇『日本書紀』は、東北・北海道の住民を蝦夷と書く一方で、日高見国という特定の国の住民を蝦夷と記録している。その理由は何か。

〇日高見国のヒタカミは何を意味するか。

〇エミシ(蝦夷)は和人(日本人)かそれともアイヌ(系)か。

エミシ(蝦夷)に関する研究がこのように遅れているのは、文献史学者が、人類学や考古学の通説を鵜呑みにしているからである。例えば、有名な人類学者が、「平泉藤原氏は日本人である」というと、その言葉を疑うこともせず、平泉藤原氏三代の顔は京都風の顔立ちをしていたなどと書く文献史学者もいる。初代の藤原清衡の顔の形が、和人(日本人)よりもアイヌの方に似ていることなど完全に無視してしまうのである(第5章第2節参照)。

在野のエミシ(蝦夷)研究者の中にも、エミシ(蝦夷)とアイヌの関係を説明するときに、時代遅れのアイヌ白人説を紹介する人もいる。アイヌ白人説が、遺伝学者によってとっくに否定されていることを知らないのである。

古墳の年代についても、文献史学者が、不確実な通説に依拠しているために、北上川流域にあったとみられる日高見国の実体も明らかにされていない。

本書は、このような欠点を克服して、エミシ(蝦夷)の実体や、エミシ(蝦夷)と古代日本国家の関係を明らかにしたものである。

第1章では、ミトコンドリアDNAの資料などを使って、エミシがアイヌ系の先住民であることを論証し、カイ(蝦夷)・エミシがアイヌ語であることを説明する。

第2章では、四世紀に畿内に成立した加羅(加耶)系崇神王朝と、五世紀にその後を継いだ百済系応神(ヤマト)王朝が、東北侵略を行った過程と、日高見国の成立やヒタカミの語源、日高見国と住民が蝦夷と呼ばれた理由などについて説明する。

第3章では、エミシ(蝦夷)出身説が唱えられている道嶋嶋足が百済系であること、エミシ(蝦夷)の英雄アテルイが河内で斬られた理由、アテルイと悪路王の関係などを説明する。

第4章では、俘囚と夷俘との違いや、夷俘の夷が日高見国のエミシを指すこと、空海や菅原道真のエミシ(蝦夷)差別、および元慶の乱と津軽のエミシ(蝦夷)との関係などを明らかにする。

第5章では、「清和源氏」と応神天皇の関係、八幡神の正体、安倍氏・清原氏の権力、藤原四代のミイラ、源頼朝の奥州平定、エゾの語源などについて説明する。

なお、蝦夷という語は、古代日本国家の支配層が作った語で、古代東北・北海道の住民を侮蔑した語であることから、本文では、蝦夷をエミシと書くことにする。

※第1章から第5章すべての転載は出来ません。私の判断での抜粋、転載になります。石渡説を広めることで、「動き」を作れますように、一人一人の「参加」を願いたいとおもいます。
posted by 無来 龍 at 14:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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