2016年08月16日

第2章 住吉神

 ※『日本神話と史実(下)』石渡信一郎著(信和書房「新世紀の古代史 6」)から書き写します。



 住吉津の海神・航海神


 大阪市住吉(すみよし)区住吉町にある式内社住吉大社には、住吉(すみのえ)3神と神功皇后が祭られている。住吉の地は、古くはスミノエと呼ばれていたが、平安時代にスミヨシと呼ばれるようになった。地名スミノエ(住吉。住の江)のスミは、後期百済系倭国の別称スカラ(東加羅)が、スカラ→スカ→スミと転訛したものであろう。「神功紀」摂政元年(201。辛巳年)2月条には、住吉津が「大津(おほつ)」と書かれているので、前期百済系倭国時代には「大加羅の津」の意で、「大津(おほつ)」と呼ばれていたと考えられる。



  『延喜式』神名帳には、

  
  摂津(せっつ)国住吉郡の住吉(すみよしの)坐神社四座(現在大阪市住吉区の住吉大社)

  播磨国賀茂郡の住吉(すみよしの)神社(兵庫県加東郡社町)

  長門国豊浦郡の住吉(すみよしの)荒御魂(あらみたまの)神社三座(山口県現在下関市一の宮)

  筑前国那珂(なか)郡の住吉(すみよしの)神社三座(福岡市博多区)

  壱岐島壱岐郡の住吉(すみよしの)神社(長崎県壱岐郡芦辺町)

  対馬島下県郡の住吉(すみよし)神社(長崎県下県郡美津町)



がみえ、播磨区賀茂郡の住吉神社のほかは、すべて名神大社になっている。岡田精司が『神社の古代史』で指摘しているように、これらの住吉神社が、難波から瀬戸内海を経て朝鮮半島へ向かう航路に沿って置かれていることは明らかである。



 


 〇 708年の住吉神の誕生

 讃(イニシキイリヒコ)時代の429年に、建国神崇神(大彦)の霊が海神・軍神として、難波→ヤハタ(後の宇佐)の瀬戸内航路と、ヤハタ(後の宇佐)→後の宗像の神津(こうのつ)→沖ノ島の沖合い→釜山の航路(1)と、豊国(後の筑紫国)のヤハタ(後の宇佐)→後の宗像の神津→那津→壱岐→対馬→釜山の航路(2)の二つの朝鮮航路の要港に祭られた。

 海神・軍神としての崇神(大彦)の霊は、ヤハタ(後の宇佐)にはヤハタ神として、瀬戸内航路の二つの朝鮮航路の他の要港にはオホアマ(大海)神として祭られ、瀬戸内航路の神社の神主は後述するようにワニ氏(後の春日氏)とその部下の津守氏、二つの朝鮮航路の神社の神主は、豊君(後の筑紫君)であったと考えられる。

 そして、537年に、ヤハタ神・オホアマ神の崇神(大彦)の霊は応神(昆支・武)の霊と交替し、後述するように、瀬戸内航路のオホアマ(大海)神は、大伴氏とその部下の津守氏、二つの朝鮮航路のオホアマ(大海)神は、宗像氏によって祭られることになったと考えられる。  
 
posted by 無来 龍 at 08:46| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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