2019年05月21日

みろく様=天御中主大神

 大正六年十一月十四日

 天の御先祖様が天御中主大神(みろくさま)であるぞよ。全智全能神様(つきのおおかみさま)であるぞよ。

 ※ やはり王仁三郎も、このように捉えていたのです。




 地の世界では天体之精(だ)、大霊魂之主(る)、一出現世(ま)と現れて、隠れて守護致しなされたのを、世界の人民は何も知らずに、禅宗のダルマと混ぜこぜに致して、もちあそびにまで化(な)りて、世に落とされて御出遊ばした結構な神様を、今度世に表して御神徳を広めるのが変性男子の御役であるぞよ。

 ※ 王仁三郎が「みろく」様を「天御中主大神」、つまり「あめのみなかぬし大神」と理解していた事を知っていただくために、王仁三郎の当て字神諭をそのまま書き写しましたが、次からは筆先により近い文章になおして、私解の大本神諭にしていきます。






 みろくの大神様は、弥勒菩薩と仏事になりて御出遊ばしたなり、日の大神様は光明如来となりて、仏事に落ちてお出遊ばしたのを、今度の世の立て替えですっくり現れて、御神力を御見せなさる時節がまわりて来たぞよ。天照皇大神宮殿も上面(うわつら)は神道で立て、奥の院はやはり仏事が祭りてありたぞよ。大国常立尊は余り力が強すぎたので、こんな激しき神をこの世の大将にして貰うたら、ほかの神は一柱(ひとり)もよう勤めんと、神々の心が一致して、天のみろくの大神様へ御願いありた故、それなれば一柱と大勢とは代えられんと仰せありて、艮(うしとら)へ押し込めよとの御命令がさがり、八百万の神に艮へ追いやられて、艮の金神と名を付けられ、ひとり神と成りて、霊の本の大神が仏事の守護致して、ここまでは来たなれど、何かの時節がまわりて来て、仏事の世の終りが末法の世と申して、まだ万年も続くのでありたのを、世を縮めて、艮の金神の世と致して、結構な神世にねじ直すのであるぞよ。

 ※ 大変に重要な事柄が教えられています。「天の御三体の大神様」が、「みろく大神」「日の大神」「月の大神」様方である事がよく解るばかりか、伊勢の「天照皇大神宮殿」が仏事の神祭りである事も指摘されています。また、そう教えられる事で、「日の大神」と「天照皇大神宮殿」が別の神であることも、さりげなく教えられています。故に、仏事の祭神りから解く為に、あえて大神様は「みろく」と言われたのだと気付くのです。神を人間の我よしにする宗教と云う狭いうつわ、狭い社に神を閉じ込めようとする大きな間違い、大きな間違いを経てこの世が来たと云う事、改心の視点はいくらもあり、大神の言葉を受け取れる大きな心を育てねばなりません。






 艮の金神は永らく世に押し込められて、苦労艱難悔し残念を堪(こば)り詰めて来た報(むく)いで、元からの仕組み通りの世が周りて来たから、霊の本の仕組み通りになりて、善と悪との立て別けを致す世に成りたから、悪のみたまは隠しても隠されず、我と我が身に現れて来るのが、天地の冥加に尽きたので在るぞよ。天地の先祖の苦労でこしらえたこの世界を、悪魔と四ツ足との自由自在に致したが、ここまでこの世を持ち荒らしたら本望で在ろう。天地の先祖が悪のみたまを現せずに、赦してやりても、筆先には書いて置かんと、こんな事に成りて居るのに、知らずに居りたかと云われては、天地の先祖も、元の御血筋も、威徳に傷が付くから、是非なく書き残すぞよ。

 今迄でこの世を悪でからめて来た八頭(やつがしら)、八尾の仕組みもここまでの事より出来んぞよ。九分九厘で悪の守護の厘止まりと成りて〇〇〇、この元は霊の本の仕組みのこしらえは致してあるぞよ。今迄善の方の御血筋は、暗闇の世に成りてしもうて居りた世が、霊の出の守護と成りて来たから、今度の二度目の世の立て替えを致すには、元をこしらえた覚えの在るみたまで無いと出来んぞよ。元のみろく様の世へ戻したら、悪の血筋はこの世には無い様に、善一つで世を立てて行かねば、悪の性来が少しでも混ぜりたらこの世は立てては行かんぞよ。こう成る事が世の元からよく判りて居るから、元から仕組みがしてありた世が周りて来たのであるから、国常立尊が直の手で書き置くぞよ。口で申しただけでは取りおとしが在りてはならんから、書かしておくぞよ。


 世の立て替えを致したら末代の事が定まりて、厳に松の世に成りて、天地の先祖が神界から世を構うから、中々厳しき世と成るぞよ。この世に判りたみたまが無いので、変性男子も変性女子も、中々骨の折れる事であるぞよ。今の人民は上から見ただけにより何事も見えんから、余り世に落として、結構な御用がさしてあるから、筆先に書かしてある事が、世界から出て来ねば、誰もほんまに致さんから、改心がでけいで、暇が要るのであるぞよ。天地の元の一厘の御血筋の御手伝いをなさる守護神を、三段に分けてあるから、三段のみたまにそれぞれの目鼻を付けねば世は治まらぬから、何に付けても大望ばかりで在るぞよ。事の分からん強いばかりでは、世は治まらぬぞよ。

 この世を持ちて行くのは、どのみたまでもと云う事には行かぬ、末代の事の判りて居るみたまが、この世を持ちて行かねば、世は途中に乱れてしもうて、行きも戻りも成らん事になると云う事が、筆先で知らして在ろうがな。日本の国に仕組みがしてなかりたら、この先は世に出て居れる方の守護神には、末代の世を持ちて行く神は無いぞよ。有るなら申して出て下されよ。末代の規則は決める場所は、綾部の大本と末代決まりたので在るぞよ。天のみろくの大神と、地の国常立尊が天地の王で、末代の規則を決めるぞよ。

 今迄は化けたり化かしたり致して、ここまでの御用をさしたが、世に出て居れる守護神人民に解らん事であるから、暇が要るなれど、明治二十五年から書かしておいた事は、皆出て来るぞよ。昔から無い事であると申して在ろうがな。無い事が皆出て来るから、筆先で先に知らして在るのじゃぞよ。元のみろく様の世の間は、誠に善き世で在りたなれど、暮れて行くに従い、元の御血筋のやり方では、辛うてよう堪(こば)らん神が出来て、終(しま)いには多数の神の自由に致して来たのであるぞよ………。


 ※ 続きます。


 
posted by 無来 龍 at 09:00| Comment(4) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
メモ

午前7時17分 大阪北部の地震

最大震度3は八幡市で観測

Posted by 龍 at 2019年05月21日 10:02
アテルイの墓
https://blog.goo.ne.jp/pririnsoccer1/e/ded4638479f5b9c37a66c86616ab6136


https://blog.goo.ne.jp/pririnsoccer1/e/c8da65efe65d81ad32624325bcb49e01
六国史の日本後記に記された「河内国榲山」が阿弖利為の没した(802年没)場所の記録として最初のものだと考えています。
椙-杉村の山説
古事記(712年)と日本書紀(720年)の全文検索をしても出てきません。
椙は和製漢字です(大漢和辭典,大修館書店,昭和35年)。
大元の日本後記(840年頃)は別の漢字であった可能性が高いと思います。
説文解字によると榲は「杉」という意味があるので椙(スギ・杉)と書いても間違いではありません。
引用終了


龍さん こんにちは。
龍さんがご意志を貫徹された日々
ご意志達成を心よりお喜びもうしあげます。


冒頭ご紹介させていただいたブログ記事が
(もしかしたら)
新たなはじまりになりそうな予感を思いました。


また今回
『キッチン日記』のご紹介をありがとうございました。
早速
図書館に問い合わせて近隣の図書館にあったようで取り寄せの手配をしていただけました。
近々読めそうです。



龍さんのブログ、龍さんに出会え
道標となる 『指し示される道を進めばよい』
迷うことなく進んで来られたこと、まことに ありがとうございました。
実は
締めの言葉が見つからないのです。

いまは
これからも よろしくお願いいたします。
と、させてください。


自然界からの贈り物を堪能させていただけるしあわせと共に
徒然なるままに ・・・
すべてに感謝 ありがとうございます。
Posted by まさこ at 2021年03月27日 15:34
まさこさん、こんにちは。

いつも熱心な読後のコメントで、ほんとうにありがとうございました。勇気づけていただき、ありがたかったです。続けて来られたのは、読んでいただいた方々がおられたからです。ですからまさこさんのコメントは、その方々を代表するものだと受け取っておりました。

私は毎日元気でおります。リハビリや散歩や自転車で身体を動かしています。私は京都と奈良の二つのかつての都の間の処に居て、私が出来る御用をこれからも務めてまいります。ブログは終わりましたが、さよならではありません。まだまだ、これからなのです。

ありがとうございます。
Posted by 龍 at 2021年03月27日 17:34
神の御子イエス・キリストを信じる者は永遠の命を得ます。イエスを信じてください。『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれば、患難前携挙、エゼキエル戦争、世界統一政府などについて、聖書的視点から理解できます。一つ一つの動画に字幕版と吹替版があります。
Posted by 聖書預言 at 2025年09月03日 00:08
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