2019年10月17日

個人的な見解とは別の……その4(終わり)

そこで、わたしたちは尋ねます。真理(truth)は現実でしょうか?人は、わたしたちが住んでいる世界を思考が創り出したと感じますが、宇宙は思考が創り出したのではありません。思考は宇宙を探求することができます。宇宙学者、宇宙物理学者は、思考を通じて探究し、ある種の結論に、ある種の仮設に達して、常に思考を通じてそれらの仮設を実証しようと試みます。ですから、思考は相対的であり、したがって、何を創出しようとも、どんな方向に動こうとも、必ず相対的で、限りがあるのです。

ご注意申し上げたいのですが、これは講義ではないし、わたしは教授ではありませんーーありがたいことに!わたしたちは、真理とは何かを見出したいーーもし、そのようなものがあれば、ですがーーと願う二人の人間として、探究しているだけなのです。

そこで、その精神は、もはや、幻想のなかにはいません。それが第一です。そこには、仮設も、幻想も、妄想もないし、何かをつかみたいと思ってもいないし、真理と呼ばれる経験を創り出したいとも思っていませんーーたいていの人は、そう思っていますが。したがって、その精神は、自らのなかに秩序をもたらしています。そこには秩序があり、幻想や妄想や経験に起因する混乱はありません。つまり、精神と脳は、幻想を創出する能力を失っています。そうですね?


それでは、真理とは何でしょうか?つまり、現実(reality)とーーさきほど説明した意味での現実ですがーー思考によって創り出されないものとは、どのような関係にあるのでしょう?思考の産物ではない何かがあるのでしょうか?この調子で先に進んでよろしですか?

このどちらかと言えば涼しい日に、わたしたちは木々の下に座っていますが、わたしたちの精神は、あらゆるかたちの幻想から自由でしょうか?そうでないと、みなさんはそれとは別のものを見出せないでしょう。ということはーーみなさんの精神は、あらゆる混乱から完全に自由でしょうか?したがって、絶対的な秩序があるでしょうか?なぜなら、混乱し秩序が乱れた精神に、波立っている精神に、真理が見つかるはずもないからです。そうではありませんか?

でっちあげることはできます。真理はあるとか、真理はないなどと言うことはできます。ですが、絶対的な秩序の感覚をもつ精神だけが、あらゆるかたちの幻想から完全に自由である精神だけが、先へ進んで見出すことができるのです。


ここで、みなさんに興味がおありなら、ちょっとおもしろいことがあります。思考を使って見出す宇宙物理学者、科学者は外へ向かいます。彼らは周囲の世界を、物質(matter)を調べます。常に外へ向かって動いているのです。しかし、もし、みなさんが内面から始めるなら、「わたし(me)」もまた物質ですからーー思考は物質ですーーもし、内面に向かうことができるなら、みなさんは事実から事実へと移動しているのです。そこで、物質を超えたものを発見し始めるのです。そうなるかどうか、それは、みなさん次第です。

これは、非常に重大な事柄です。午前の一時間ですませるようなことではありません。これには、生から遠ざかるのではなく、一生をかけなければなりません。生とは、わたしの苦闘であり、不安、恐怖、退屈、孤独、悲しみーーおわかりでしょうか?ーー不幸、あらゆる後悔、そのすべてが、わたしの生なのです。

そこから遠ざかるのではなく、それを理解し、それをやり遂げるのです。そして、もし、それをやり遂げたなら、そこには絶対的な真理が、そのようなものがあるでしょう。[出典 17] 1980年5月8日の「オーハイ質疑応答集会」のテープより。



posted by 無来 龍 at 10:00| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
龍さん

変換ミスだと思います。

仮設→仮説

>ある種の結論に、ある種の仮設に達して、常に思考を通じてそれらの仮設を実証しようと試みます。

>仮設も、幻想も、妄想もないし、
Posted by まゆみ at 2019年10月18日 14:23
まゆみさん、ご指摘、ありがとうございます。そのとおりで、「仮設」を[仮説]に訂正しなければなりません。

気をつけて書き写していきます。ありがとうございます。
Posted by 龍 at 2019年10月18日 17:21
コメントを書く
コチラをクリックしてください