2019年11月08日

イメージの重荷が……その4

質問者: どうすれば、そのすべてを追い払えるのですか?





k: それはお話ししました。よろしいですか。できるだけシンプルに進めましょう。みなさんが物理的危険に気づいたら、反応しますね、そうではありませんか?なぜでしょう?危険を感じたら、瞬時に反応する。みなさんは危険に対して条件づけられているからです。それが野生の動物でも、バスでも、あるいは、殴りかかってくる誰かでも、みなさんは瞬時に反応します。つまり、瞬時の反応は条件づけに従っているのです。

さて、いまや、みなさんは、脳細胞のなかで、心理的に、精神的に、知性的に条件づけられています。そして、推測のなかで、概念のなかで、方式のなかで生きるように条件づけられていますーーそのように条件づけられているのですが、みなさんは、その危険を見ません。野生動物の危険を見るように、もし、みなさんが、その危険を見たなら、瞬時にそれを捨てるはずです。そこでみなさんは言います。「わたしはその危険を見ません。ですから、捨てられません。わたしが、その危険を見るように、あなたは、どのように手助けしてくれるのですか?」と。仕事をしているのは、みなさんですか?それとも、わたしですか?わたしは仕事をしているのに、みなさんはただ聞いているだけです。みなさんは仕事をしていない!

みなさんは言います。「さあ、このイメージを壊す方法を教えてください」と。つまり、みなさんは見出すためのエネルギーを使っていない。それは、みなさんが怠惰で、指示されたがっている、ということです。そして、「はてさて、わたしは同意するのかしないのか、それは現実的ではないな」と言います。みなさんは弄(もてあそ)んでいます。ですがーーイメージとともに生きることはできない、なぜなら、破壊的な危険があるからーーという、この真理を見て、「お願いです、わたしは見出したいのです」と言うなら、話は別です。

そして、この真理を見るには、みなさんがエネルギーをもち、みなさんが仕事をする必要があります。ほかの人から言われることではないのです。わたしは、みなさんにお話ししていますが、みなさんは、そこに活力を注ぎこんでいません。


さて、精神と脳は、古くて条件づけられていて、常に過去のなかで、あるいは、過去から投影された未来のなかで生きていて、生きているもの、そのものには直面できません。なぜなら、それは、用いること、動くこと、観察することを意味するからです。そこで、精神は言います。「お願いだ。わたしは怠け者なんだから、やめてくれ。それよりはイメージとともに生きているほうがいい。心地良いのが好きなんだ」と。

それが、みなさんが望んでいるすべてです。

ですが、真理を見出すためには、洞察を通じて得られる英知のなかの安心以外は何の安心もなしに、きわめてしっかりと生きなくてはなりません。そうすれば、みなさんは、同時に第一級の技術者になれます。なぜなら、技術的な仕事をするときは、そこにイメージを投影しないからです。そのときは、お互いにすばらしい関係性を築けます。

[出典 23] 1972年8月6日の「ザーネンでの対話」より。







posted by 無来 龍 at 10:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください