2019年11月11日

過去の奴隷で……

過去の奴隷であることからの解放 『同書』P59~


第一に、この講話の意味とは、いったい何でしょうか?みなさんは、この話し手を権威とみなして学ぼうとするかもしれませんが、いつであれ、どのレベルであれ、それは、まったく話し手の意図ではありません。それとも、わたしたちは穏やかに話し合い、自分自身を内面的にさらけ出すために集まっているのでしょうか?なぜなら、これは、蓋(ふた)を開け、発見し、さらに先へ進む機会だからです。これこそが、これらの講話の目的であり、この話し手は、規範を、教義を、権威を、信念を、道を示そうとしているのではありません。そうではなく、わたしたちはともに話し合うなかで、誰かほかの人ではなく、自分自身に耳を傾けるのです。そして、自分自身に耳を傾けるなかで、わたしたちは限りなく多くのことを、すべての言葉と意味の深奥を発見します。少なくとも、それが目指すことです。



これらの話し合いを、ただ知的に、言葉によって意見を闘わせるだけの場だと考えるなら、残念ですが、ろくに価値のないものになるでしょう。惨めで、自分自身についても世界についても困惑し、人と人とが絶え間なく争っているのを目にして、わたしたちが関心を抱いているのは、単に経済的分野や社会的分野ばかりではなく、もっとほかの生き方があるのではないか、ということです。わたしたちは、すべての分野で、まったく違った生き方をすることができますか?そのために、わたしたちは集まっているのです。学ぶことは聞くことです。この話し手だけでなく、近くの川にも耳を傾けるのです。

話しているあいだも、川の音や少年の叫び声、そして、みなさん自身の思考に、みなさん自身の感情に、耳を傾けてください。それらと完全に親しくなれるように。親しくなるとは理解することであり、理解するためには耳を傾ける優しさがなければなりません。耳を傾ける対象は自分の意見だけではありません。自分の意見なら、充分にご存じですから。みなさんの意見はみなさんの偏見であり、快楽であり、育ってきた環境の条件です。

人は、もし、できるなら、外部から受けた影響とそれらへの自分の反応に、その衝撃のすべてに、耳を傾けなければなりません。そのように耳を傾け、見ることを通じて、学びがやってくるのです。それもまた、これらの話し合いの目的です。

※ たとえば、私たちの「女性の好み」が、もう忘れてしまった過去に見たある映画の女優さんだとかすると、その映画のことはすっかり忘れているわけですが、しかし、脳の記憶はしっかり焼き付いているので、「どうしていつも、同じタイプの女ばかり好きになって、同じように駄目になるかねえ」と友人に嫌味を言われても、「どうしてかな?」と自分でもわからないことがあります。しかし、こうした発見をして行くと、「どうしてかな?」とはならず、「探しもの」は前より速く見つかります。私(龍)の場合、思春期に多くの影響を受けて来ました。
posted by 無来 龍 at 10:01| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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