ーーーオハイ(峡谷)の意味は「巣」ではなく「月の谷」だったーーー
「オハイ」を「巣」と紹介したのは、クリシュナムルティの弟のニティヤだと思われる。
クリシュナムルティとニティヤは、ニティヤの結核の病気を治療するために、アメリカのカリフォルニア州のオハイにやって来る。そして、クリシュナムルティは「神秘的で霊的な体験をして、激しい痛みと意識の喪失に襲われた」。このクリシュナムルティの体験について、ニティヤはベサント夫人に手紙を書いて報告している。その中に、
…………アメリカインデアンはこの谷をオハイ、つまり巣と呼んでいました。……………
と書いた(『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス著、高橋重敏訳、1988年発行株式会社めるくまーる社)。その後、この「巣」という訳は定着したようで、各書籍等で取扱われている。
私は偶然に、オハイが、アメリカインデアンのチューマッシュ族の聖地で、月を意味する言葉だと知った。つまり、オハイ峡谷とは月の谷という意味なのである。これは今でもネットで調べる事が出来ると思う。「アメリカインデアン・先住民・言葉・オーハイ(オハイ)」と打ち込めば出てくるだろう。ちなみに、「wiki jp」というところだったとメモしてある。
また『クリシュナムルティ・目覚めの時代』には、P328に、このような記述がある。
………九月二十五日に、プロセス(先のクリシュナムルティの体験を彼自身がそう呼んだ)は一時的に終末を迎えた。月があまりに明るかったのでそうなったのだ、とK(クリシュナムルティのこと)は確信していた。しかしながら、月が欠け出せばたちまちまた始まるだろうとも彼は信じていた。実際そうなり、それは今まで以上に苦痛に満ちていて、彼を完全に消耗させつづけた。…………
クリシュナムルティは月が、彼がプロセスと呼んだ現象に作用していることを自覚していたようだ。
私の発見は、もちろん、大本の筆先との関連、つまり、筆先の言う「みろく様はお月様」と、クリシュナムルティの「神がかり」の事である。
そして、まだある。
その後最愛のニティヤが亡くなり、失意のどん底にあったクリシュナムルティは、予定されていた教団の大会に出席し挨拶を始める。それは1925年12月28日、オランダでのオーメン・キャンプ(この「オーメン」という地の名称にも不当なレッテルが貼られている)でのことである。
…………朝八時からのバンヤン樹の下の最初の集会でKが話していたとき、劇的な変化が起こったのである。そのとき、彼の話は終わろうとしていた。彼は世界教師について語っていた。
「〈彼〉は、求め、欲し、渇望する人々のところにだけ訪れます。……」
その直後、彼の声音が完全に変わり、いちだんと高く響きわたった。
「そしてわたしは訪れてきた。あわれみを求め、幸福を求める者、解放されることを切望する者、あらゆるものの中に幸福を見出そうとする者たちのために。わたしは、取り壊すためではなく改革するために、破壊するためではなく創り上げるために来るのである」。
一人称への変化と声音の違いに気づいた人たちにとって、それは背筋が震えるような体験だった。…………
世界教師の到来を神智学協会において告げていたベサント夫人は、
………❲十二月二十八日の❳この出来事は、選ばれた〈※器〉の決定的な献身と……※ずっと以前に選ばれていた肉体が最終的に承認されたことを明白にしました。………いよいよおこしになるのです。………
※は、どちらもクリシュナムルティを指す。
と感激し、さらに
「けっして人間の口ではない話し方をするあの〈お声〉が、初めて、バンヤン樹の下に座っていた大衆の耳にもう一度(※)私たちの低次元な方法で響いたのです。十二月二十八日のことでした………そして私たちは、待機の時が終わったこと、地平線の上の明けの明星が昇ったことを知ったのです。」
※もう一度とあり、このときが二度目であると読める。では一度目は?と考えると、それはキリストを指しているのだと思われる。
と、『セオソフィスト』誌に書いている。
その声は何と言ったか?
「取り壊すためではなく改革するために、破壊するためではなく創り上げるために来るのである」と言った。これは明確に、大本の筆先の「たてかえ、たてなおし」ではないか。
大本の筆先に最初に出て来られる大神様は、「うしとらのこんじん」様である。この大神様は、筆先によれば「ちゅう界」に居られるようである。いわゆる「天」は宇宙であり、いわゆる「地」は地球である。天と地の「ちゅう界」に居て居られるのだから、「ちゅう」を「中」に、または「宙」としてもさしつかえないだろうと思われる。
先に宙界の大神様が日本で現われられて、お月様の光に人々を導くように筆先をわたしたちに与えられた。故に、私は、筆先の教えとクリシュナムルティさんの教えは続いていたのだと発見する。何故なら、筆先の教えるみろく様が、遠い国の月の谷に降りられて居たことを知るからである。
この追伸が、愛ある手紙の追伸になれば良いと、心からそう思います。
届け!光りの教え。

『キッチン日記』p89
……クリシュナムルティが1922年以来住んでいた家は、かつてそれを囲んでいた松の木にちなんでそう名付けられた(パイン・コテージ)のだが、先年すっかり建て変えられた。………
大本の筆先には、「梅で開いて松で治める」というのがある。梅が大本の筆先と見れば、松はクリシュナムルティの教えではないか。
厳しい冬を越して咲く一輪の梅の花は、永遠の色あせない世になっていくしるしなのである。その世を迎えるために、私たちが居る。
「兄弟は七月六日にオーハイに到着し、そこにあった松材製の小さな別荘で二人きりになった。そこは峡谷のずっと東の端で、オレンジとアボカドの木立に囲まれていた。……………」(『クリシュナムルティの生と死』メアリー・ルティエンス著・大野純一訳・2007年コスモス・ライブラリー・P56より)