2019年12月05日

生の知覚は、……その2

わたしは、特別の専門用語や単語、微妙な、あるいは隠れた意味のある言葉ではなく、非常にシンプルな、辞書にあるとおりの言葉を使っています。コミニュケーションを取るには、シンプルで明晰な言葉を使わなくてはなりません。そして、コミニュケーションにおいては、言葉の意味だけでなく、その裏にある意味も見出さなければならないのです。そのときはじめて、この話し手とみなさんのコミニュケーションが成り立ちます。しかし、もし、言葉とその言語的、意味論的な意味だけに囚われていると、その裏にあるものを見逃してしまうでしょう。コミニュケーションには、両当事者の多大な関係が、非常に真剣な注意が求められるのです。




何が起こっているかを見るとき、政治家や宗教界の人々を、さまざまな派閥や宗派を観察するとき、彼らが関心をもっているのは思考の操作(operation)にすぎない、とわかります。思考が、この世界を、政治の世界、経済、ビジネス、社会的な倫理、そして、宗教構造の全体をーーインドでも、ここでも、どこでもーー創り出しています。そして、そのすべてが思考をベースにしています。それがユダヤの思考、アラブの思考、キリスト教徒の思考、ヒンドゥー教徒の思考であれ、本質的にそのすべてが、物質としての思考の操作なのです。


瞑想するとき、みなさんは依然として、その思考のパターンのなかに囚われています。思考によって作り上げられた意識の領域のなかにいるのです。政治的な答えを見つけようとするときも、依然として、その領域のなかです。わたしたちのすべての問題も、それらの問題の答えを見つけたいというすべての欲求も、その意識のなかにあります。インドやアメリカ、この地、あるいはどこであれ、みなさんも、わたしがしたように、真剣な政治家と話してみれば、彼らの全員が、思考が創り出した場のなかで政治哲学や制度の改革案や答えを見つけようと試みていることが、おわかりになるでしょう。



さて、思考は、それが創造したものへの答えを見つけようと試みています。個人的な関係、コミュニティとの関係、政府との関係のなかで作り上げた混乱への答えです。残念ですが、政治は、わたしたちの社会的、倫理的、環境的な条件づけのなかで非常に重要な役割をはたしており、政治家たちもまたーー彼らがほんとうに真剣であるならーー思考の場で、あるいは思考の機能を通じて、これらの問題への答えを見つけようと試みています。そういうことなのです。わたしがでっちあげたのではありませんし、わたしがそう考えているのでもなく、それが事実です。

思考は、世界を、アメリカ人、コミュニスト、社会主義者、ドイツ人、スイス人、ヒンドゥー教徒、仏教徒、その他すべての宗教的宗派に分断してきました。

それでは、これらすべての問題に対して、思考の操作を通じた答えがあるでしょうか?みなさんの瞑想であれ、みなさんの神々であれ、キリストやブッダ、その他すべてが思考の創造物です。物質である思考、時間の場のなかでしか操作できない思考です。ですが、もし、思考が、これらすべての問題に答えを与えないとしたら、何が与えてくれるのでしょう?それが、わたしたちがこれから探究しようとしていることです。











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2019年12月04日

生の知覚は、……

『境界を超える英知 人間であることの核心 クリシュナムルティ・トーク・セレクション1』P87~



生の知覚は、すでに精神に確立されている概念によって形づくられる



わたしたちはスローガンや決まり文句、古びた理論を受け入れたり、新しい理論、新しいシステムを発明したりしますが、いつでも、人が何世紀にもわたって生み出してきた意識の場のなかでのことです。そして、意識とはその中身です。ご存じのとおり、中身がなければ、意識もありません。前にも言ったように、わたしたちはこれらの問題をともに探究しています。ですから、みなさんも参加し、一緒になって探究に取り組む必要があります。

単にこの話し手に耳を傾け、その言葉を受け入れたり否定したりするのではなく、仲間として協力し、わたしたちのまわりの世界とは何なのか、また、わたしたちの内側の世界とはどのようなものなのかをーー内部と外部に関係があるのかどうかをーー見出すべく試みなければならないのです。それとも、両者は一つ、不可分なのでしょうか?それが、わたしたちの関心事です。

このことを理解するために、わたしたちは本気で取り組まなければなりません。だからこそ、わたしたちはみちびかれるのではなく、ともに探究しなければならないのであって、したがって、権威もなく、指導者もいないのです。探究するためには、一日は関心をもってもあとは忘れている、というのではなく、全面的に関心をもたなくてはなりません。来る日も来る日も、毎月毎月、毎年毎年、生涯にわたって関心をもつのですーーなぜなら、これはみなさんの生なのですから。





それでは、わたしたちはすべての問題の答えを、論理的でまともで健全な答えを、どこに見出すのでしょう?わたしたちの外にある問題、戦争や暴力、狡猾な政治家たち、平和を語りつつ行われている戦争準備だけでなくーーみなさんは、まわりで何が起こっているかをご存じですね。不道徳で、邪悪で、ぞっとする世界ですーーその世界とわたしたちの関係も問題なのです。このすべてのなかで、どのような場所にわたしたちがいるのかを、わたしたちの責任を見出す必要があります。

責任を取るとは、起こっていることに適切に、あるいは全的に応答することです。そして、応答するためには、生涯を通じて非常に真剣でなければなりません。ですから、みなさんがこの話し手の言葉を分かち合おうと思うなら、耳を傾け、見出さなければならないのです。見出すーー単に、この話し手が何を言っているか、ではなく、みなさん自身で、正しい答えを見出すのです。見出すためには、ご自分の偏見や国民性、信念、経験、知識、希望など、すべてを捨てなければなりません。そして、そのためには、とてつもない真剣さが要求されます。



わたしたちのほとんどが世界で実際に何が起こっているかを自覚している、とは思えません。わたしたちは新聞を読み、テレビを見て、政治的あるいは宗教的な講演を聞きに出かけますが、すべて表面的な説明ばかりです。しかし、もし、その先まで行くことができれば、それらすべてを捨てて綿密に観察するなら、人間がどれほど荒廃し、堕落しているかがわかるでしょう。この堕落は、人が全面的に外部に依存するときに起こります。つまり、物質(matter)や物資(material)がこの上なく重要になったときです。

※ この話のテープがとられたのが1974年です。それから45年が経っていますが、この指摘がまさに今現代の状態を言い表しています。私たちは今、たとえばコンピューターに依存し、それは社会のいたるところに拡がり、コンピューター無しの「生活」が成り立たなくなってきています。



このすべてを、つまり、意見の分裂やイデオロギー、右翼や左翼や中道の政治システムがあり、誰もが制度や政府に手を加えよう改革しようと語っていることを注視すれば、そのいずれもが、依然として時間の場のなかの、思考と物質の場のなかの行動であることがわかります。
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2019年12月03日

休憩ーーー仲良し

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posted by 無来 龍 at 09:25| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする